長編
三人目のプリクラ
テスト終わりに撮ったプリクラの最後の一枚に、千紗と莉子の知らない制服の少女が写っていた。
灰浦怪談 第1話『三人目のプリクラ』
最後の英語の答案用紙が集められた瞬間、教室のあちこちで同時に息が抜けた。
「終わったあ」
前の席の莉子が、机に額をつけたまま言った。
「まだ採点されてないよ」
「そういう現実的なこと、今日だけは言わないでほしい」
窓際の席に午後の光が斜めに差していた。六月の終わりで、朝から蒸していたわりには、放課後になると風が少しだけ教室を通る。黒板には試験範囲の最後のページ番号が残っていて、消し忘れた白い数字だけが妙にくっきり見えた。
担任が「寄り道しすぎるなよ」といつもの注意をしてから出ていくと、クラスの半分くらいが一斉に立ち上がった。部活がある子、駅へ急ぐ子、テスト終わりの解放感でそのまま誰かの家に行こうとしている子。椅子を引く音と笑い声で、さっきまでの緊張が嘘みたいに薄まっていく。
莉子はようやく顔を上げ、私のほうを振り返った。
「千紗、今日、駅前寄れる?」
「何しに?」
「コンビニの新作アイス。塩キャラメルのやつ、もう食べた?」
「昨日、弟が食べてた」
「えっ、ずる。どうだった?」
「一口もらったけど、普通においしかったよ。上に砕いたクッキーが乗ってるやつ」
「それ絶対食べる。あとプリクラ」
「そっちが本命でしょ」
「ばれた?」
「顔がもうそう言ってる」
莉子はスマホを持ち上げ、画面を私に見せた。動画アプリの短い広告で、駅前のゲームセンターに新しいプリクラ機が入ったという投稿だった。画面の中では、知らない女の子たちが色のついた光の前でポーズを取っている。フレームは海っぽい青と白が中心で、貝殻やラメの入った文字がやたらと派手だった。
「これ。限定フレーム、灰浦の店だけらしい」
「駅前に限定されてる意味がわからない」
「地元愛」
「プリクラ会社の?」
「たぶん商店街とのコラボとかじゃない?」
莉子はそういうものにすぐ反応する。期間限定の飲み物、コンビニのおまけ、動画で流行っているメイク、知らないブランドのポーチ。興味を持つ対象はころころ変わるけれど、見つけたときの顔はいつも同じだった。
「一回だけね。帰るの遅くなると怒られるから」
「やった。千紗のその『一回だけ』、だいたい三回くらい撮るやつ」
「撮らない。そもそもプリクラに三回も使うお金ない」
「テスト終わりボーナスってことで」
「誰から出るの」
「人生から」
「人生、ケチだからね」
莉子は笑いながら鞄に筆箱を放り込んだ。
校門を出ると、灰浦南高校から駅へ向かう道は、いつもの放課後より少しにぎやかだった。試験期間中は部活が早く終わっていたせいか、運動部の子たちも制服のまま歩いている。住宅街を抜ける道の脇には小さな花屋があって、店先のバケツにひまわりが並んでいた。
莉子は歩きながら、試験の答え合わせをしたがった。
「英語の最後の長文、主語どれだった?」
「今それ聞く?」
「聞く。自分が選んだやつと違うと、採点される前に心の準備できるから」
「できないでしょ」
「できるよ。落ち込む練習」
「莉子、たぶん一番落ち込まないタイプだよ」
「それはそう」
踏切の前で電車を待つあいだ、莉子はまたスマホを見た。
「ほら、アイス。これこれ」
送られてきた新商品の写真には、濃い茶色のアイスに白い塩の粒が散っていた。写真の撮り方が上手いのか、実物よりずっと高そうに見える。
「でも、これ二百八十円するんだ」
「アイスにしては高い」
「テスト終わりだし」
「人生ボーナス?」
「人生の特別支給」
電車が通り過ぎると、遮断機が上がった。私たちは笑いながら渡った。
灰浦駅前は、海から少し離れているのに、風に混じる湿気がどこか潮っぽい。駅ビルの一階にはパン屋、土産物屋、古い薬局が並び、改札の前には高校生と仕事帰りの人が入り混じっていた。
コンビニで目当てのアイスを見つけたとき、莉子は小さく拍手した。
「残ってた!」
「大げさ」
「これ、昨日は売り切れてたらしいよ」
「誰情報?」
「投稿」
「その投稿した人、店員さんかもね」
莉子は塩キャラメル、私は抹茶のモナカを選んだ。結局、新商品を見つけたときの目に勝てず、私も少し高いアイスを買ってしまった。
店の外のベンチに座って、一口目を食べる。表面のチョコレートがぱりっと割れた。
「どう?」
「おいしい。悔しいけど」
「でしょ。塩、ちゃんといる?」
「いる。主張はそんなに強くないけど」
「アイス評論家みたい」
「莉子が聞いたから」
駅前の交差点を渡った先に、ゲームセンターはある。昔からある建物で、一階の入口にはクレーンゲームのぬいぐるみが並び、二階には音楽ゲームや対戦ゲームが置かれている。店の名前は派手な英字なのに、看板の一部が日焼けしていて、夜になると「G」の文字だけ時々消える。
私たちが入ると、冷房の風と電子音が一気に押し寄せてきた。外の湿気で少しべたついていた腕が、急に冷える。
「うわ、涼し」
莉子は空になったアイスの容器を入口のゴミ箱に捨て、すぐに奥を見た。
「ある、あれだ」
新しいプリクラ機は、二階へ上がる階段の近くにあった。白い外装に水色の文字が光っていて、側面には大きな貝殻と波の絵が描かれている。周りにある機械より明るく、まだ新品らしく傷もなかった。
ただ、画面の上にあるリングライトだけが、少し不安定に瞬いていた。
消えかける蛍光灯みたいに、明るくなったり暗くなったりするわけではない。ほんの一瞬、光が白から青っぽく変わる。そのたび、機械の前に立つ私たちの影が床に長く伸びたり、短く縮んだりした。
「新しいのに、もう調子悪いのかな」
私が言うと、莉子は気にした様子もなく画面をのぞき込んだ。
「店内が暗いからじゃない? これ、肌が盛れるやつだよ、たぶん」
「光ってるのに?」
「そういう演出」
プリクラには、先に遊んでいたらしい中学生くらいの女の子たちが二人いた。終わったらしく、印刷されたシートを見ながら楽しそうに出ていく。そのうちの一人が、機械の横を通るときに一度だけ振り返った。
視線は私たちではなく、機械の上のライトに向いていた。
けれど友達に呼ばれると、すぐに走っていった。
「撮るよ」
莉子が財布から小銭を出した。
「一回だけだからね」
「はいはい。千紗、絶対あとでフレーム選びに文句言わないでよ」
「文句じゃなくて意見」
「同じこと」
画面に表示されたコースは、想像以上に種類が多かった。ふつうのナチュラル系、韓国風と書かれた淡いピンクのもの、ゲームセンター限定らしい青いフレーム。莉子は当然のように限定を選んだ。
「文字、何にする?」
「テストおわり、とか」
「ださ」
「じゃあ、何」
「『生還』」
「テストから帰還したみたいに言わないで」
「でも生き残った感じあるよ」
結局、フレームの下に「テストおわり!」という黄色い文字が入った。莉子の提案した「生還」は、スタンプに小さく使うことになった。
カーテンをくぐって中に入る。新品らしいビニールと、どこか甘い香料の匂いがした。狭い空間に大きな画面があり、画面の周りの光が私たちの顔を均一に照らしている。
「千紗、もっと寄って」
「近い近い」
「顔が半分しか入らない」
「それは莉子が画面に近づきすぎ」
最初の撮影が始まった。
三、二、一。
フラッシュが光る。
二枚目。
三、二、一。
莉子が猫の耳のポーズをして、私は笑いながら肩を寄せた。
三枚目のカウントが表示されたとき、画面が一度だけ真っ白になった。
撮影用のフラッシュとは違う。前の画像も、文字も、私たちの顔も一瞬消えて、白い画面だけになった。
「え?」
莉子が声を出した。
すぐに画面は戻り、カウントは一のところまで進んでいた。反射的に私たちはカメラを見た。光った。
「今、バグった?」
「たぶん」
中の空気が、少しだけ冷えた気がした。
「撮り直しになるかな」
「撮れてなかったら店員さんに言おう。新しいのにね」
莉子はそう言ったが、さっきまでより声が小さかった。
撮影は止まらなかった。四枚目、五枚目と続く。最後の一枚では、画面の端に薄い影のようなものが映った。
私は一瞬、莉子の髪だと思った。彼女が動いたから、画面の端に前髪が流れたのだと。
でも莉子は私の右側にいた。
影は左端から、ほんの少しだけ画面に入っていた。
「今の見た?」
私が言うと、撮影終了のメロディーが流れた。
「何を?」
「いや……髪みたいなの」
「私、動いたからじゃない?」
「たぶん」
言いながら、私もそう思おうとした。
次は落書きの画面だった。外のスペースに移動し、画面に表示された写真へ文字やスタンプを置いていく。莉子はいつもなら、この時間が一番長い。写真ごとに違う加工を試して、二人の目の大きさを比べて、背景のラメを増やしすぎて私に止められる。
けれど、その日は画面を見た瞬間、莉子の指が止まった。
「……千紗」
私も画面を見た。
最初の写真には、私と莉子だけが写っていた。二枚目もそうだった。三枚目は、さっき画面が白くなった写真だ。
私たちのあいだ、少し後ろに、知らない女の子がいた。
顔は、はっきり写っていた。
長い髪を耳の後ろで片方だけ留めていて、表情はなかった。笑ってもいないし、怒ってもいない。私たちがカメラに向けた顔の間から、まっすぐ前を見ている。
制服が、見慣れない。
灰浦南高校の制服に似ていた。白い半袖のシャツ、濃い紺色のスカート。けれど、私たちの胸元にある細いリボンではなく、少女は灰色の幅広いリボンをつけていた。襟の線も、私たちのものより一本多い。
どこかの私立校の制服かもしれない。そう考えようとして、私はすぐに無理だと思った。
あの狭い撮影スペースに、知らない子が入る余地はなかった。
「これ、加工?」
莉子が言った。
「知らない」
「勝手に、人増やす加工とかある?」
「あるとしても、もっと……」
もっと明るい顔のスタンプみたいなものになるはずだった。友達同士で遊べるように、アニメっぽい誰かが入るとか。こんなふうに、制服の細部まで写る女の子ではない。
莉子は画面のフレームを何度も触った。写真を拡大する操作をして、少女の顔を大きくした。画質が荒くなり、少女の目元はぼやけた。
それでも、そこに誰かがいることだけは消えなかった。
「撮ったとき、後ろに誰かいた?」
「いないよ」
「カーテン、開いてた?」
「閉めたでしょ」
「じゃあ、合成?」
「知らない」
私の声も、知らないうちに小さくなっていた。
落書きの残り時間を示す数字が、画面の隅で減っていく。九十秒。八十秒。機械は何もなかったように、次の操作を促している。
「これ、消せないのかな」
莉子が少女の上を指でなぞった。
「スタンプじゃないから無理じゃない?」
「一回、戻る?」
「戻っても消えないと思う」
「でも、印刷しないと損じゃん」
その言い方が、少しだけいつもの莉子に戻った気がした。私は「そこ気にするんだ」と言いかけた。でも笑えなかった。
私たちは結局、ほとんど落書きをしなかった。さっき決めた「テストおわり!」だけを写真の上に置いた。文字が少女の肩に少しかかってしまい、莉子はそれを動かそうとしたが、時間が足りなかった。
別の写真にも、少女が写っていた。
三枚目だけではない。四枚目にも、五枚目にもいた。ただし、写り方が違った。
四枚目では、少女は私の後ろに立っていた。顔の半分が私の髪に隠れ、灰色のリボンだけが見える。
五枚目では、画面のいちばん端にいた。私たちのほうを見ていない。横を向き、何かを探すように、撮影スペースの外側へ顔を向けていた。
最後の一枚だけ、少女は私たちと同じようにカメラを見ていた。
カウントがゼロになり、画面が切り替わる。
「印刷中です」
明るい文字と一緒に、短い音楽が流れた。
私たちは何も言わなかった。
印刷口からシートが出てくるまでの数十秒が、やけに長かった。周りではクレーンゲームの音がしていて、近くの音楽ゲームでは誰かが失敗したらしい電子音が鳴った。二階の奥から、男子高校生の笑い声も聞こえた。
いつもと同じゲームセンターなのに、カーテンの中にいたときの空気だけが、まだ服の内側に残っているようだった。
出てきたシートを、莉子が受け取った。
「……やっぱりいる」
声がかすれていた。
紙の写真には、画面で見たより少し暗く、少女が写っていた。印刷の粒が細かいぶん、制服の違和感だけがむしろ目立った。私たちの制服は胸元のリボンまで光で飛んでいるのに、その子の灰色のリボンだけ、湿った布みたいにくっきりしている。
「どうする?」
莉子が聞いた。
私には、答えが思いつかなかった。
捨てる、という言葉が最初に浮かんだ。でも、この場でゴミ箱に入れるのも嫌だった。だからといって持って帰りたいわけでもない。
「とりあえず、切ろうか」
「え?」
「シートのままだと、全部見えるから」
莉子は少し迷ってから、備え付けのはさみを取った。
写真は全部で六枚あった。二人だけが写っているものもあった。けれど、知らない少女が写っているものも混じっていた。はさみを入れるたび、写真の中の明るい背景や、貝殻のフレームが二つに分かれていく。
「これ、千紗の」
「うん」
「これは私」
「うん」
私たちは何となく、写りがいいものを一枚ずつ選んだ。残りは、細く切ったあと莉子が小さく畳んだ。
「最後の、どうする?」
彼女が言ったのは、少女が真正面を向いている写真だった。
そこには私と莉子が肩を寄せ、二人とも笑っている。その真ん中で、知らない少女だけが笑っていない。
「持って帰るの?」
「捨てたくない」
「じゃあ、持つ?」
「千紗、持てる?」
莉子の手の中で、その写真だけが妙に目立っていた。
私が受け取ると、紙は薄く、普通のプリクラと同じ感触だった。冷たいわけでも、湿っているわけでもない。ただ、写真の少女を見た瞬間、指先から腕のほうへ、ぞわっと何かが走った。
「私が持つ」
「ほんとに?」
「うん。家で……いや、別に見ないけど」
「私も見ない」
「じゃあ、なんで持つの」
「わからない」
莉子は、小さく笑おうとして失敗した。
残った写真の切れ端は、機械の脇のごみ箱には入れなかった。莉子が鞄の内ポケットにしまった。
「外、出よ」
私が言うと、莉子はすぐうなずいた。
新しいプリクラ機の上のリングライトが、そのときまた一度だけ青白くなった。
私たちは振り返らなかった。
ゲームセンターを出ると、外はまだ明るかった。駅前のロータリーにはバスが止まり、観光客らしい人が大きな荷物を引いて歩いている。信号待ちをしている子どもが、母親の手を引っ張っていた。
あまりに普通の夕方で、さっきのことが急に現実味をなくした。
「たぶん、ほんとに加工だよね」
莉子が言った。
「そうかも」
「新しい機械だし。なんか、AIとか使ってるとか」
「勝手に知らない人を混ぜるの?」
「……それは嫌だけど」
信号が青になる。私たちは渡った。
いつもなら、ゲームセンターの帰りは写真を見ながら、どれをスマホケースに挟むかとか、どのスタンプがいらなかったとか話す。今日は二人とも、写真の話を自分から続けなかった。
駅前のベンチを通り過ぎるとき、莉子が急に立ち止まった。
「千紗」
「なに?」
「写真、見せて」
私は鞄のポケットから取り出した。
莉子は受け取らずに、私の手の上からのぞき込んだ。
「この制服、どこだと思う?」
「わからない。灰浦北とか?」
「北高は、もっとリボン赤いよ」
「知ってるの?」
「文化祭のとき見た」
莉子は写真の少女を指で触れないようにして、制服の襟元を見た。
「うちの制服に似てるよね」
「似てる」
「でも、ちがう」
私たちはしばらく、写真を見ていた。
灰浦南高校の制服は、昔からほとんど変わっていないらしい。入学式の日、母が「私のときとリボンの形は同じ」と言っていた。けれど写真の少女の制服は、古い制服という感じもしなかった。むしろ私たちのものより整って見える。今の学校指定品を少しだけ違う形で作ったような、不自然に近い違いだった。
「もう行かないよね、あそこ」
莉子が言った。
「うん」
「新しいフレーム、もう一個あったけど」
「行かない」
「うん」
返事が早すぎて、莉子は少しだけ安心したようだった。
駅で莉子と別れたあとも、私は写真を鞄から出さなかった。家に帰り、夕飯を食べて、母にテストのことを聞かれて、適当に答えた。机に向かっても、写真をどこに置くか決められない。
スマホケースに挟むのはもちろん嫌だった。ゴミ箱に入れるのも嫌だった。燃えるごみに出すまで、家の中にあると思うともっと嫌だった。
結局、机の引き出しのいちばん奥にある、使わなくなったペンケースに入れた。
入れるとき、もう一度だけ見てしまった。
写真の少女は、やはりカメラを見ていた。
私と莉子のあいだにいるのに、私たちのことは見ていないようだった。こちらを通り越して、写真を見る誰かを待っているみたいだった。
その夜、莉子からメッセージが来た。
『あの残りの写真、家まで持って帰った』
『捨ててないの?』
『捨てようとしたけど、無理だった』
『私も最後の一枚、引き出しに入れた』
『見ないでね』
『莉子も』
『絶対見ない』
そのあと、しばらく既読がついたまま何も来なかった。
いつもなら、テストの愚痴か、さっきのアイスの感想か、動画のリンクが続く。けれど莉子も、何を話せばいいのかわからないのだと思った。
私はスマホを伏せた。
寝る前に部屋の電気を消したとき、机の引き出しがほんの少しだけ開いているように見えた。
気のせいだと思って、そのままベッドに入った。
翌朝、目が覚めて最初に思い出したのは英語のテストではなく、引き出しの中の写真だった。
学校へ行く途中、私は何度も鞄の中を確かめた。写真は家に置いてきたのに、ポケットに入っている気がした。もちろん何もなかった。
教室に入ると、莉子はもう席にいた。
「おはよう」
「おはよ」
それだけで、二人とも少し黙った。
「寝た?」
「寝た。たぶん」
「私も」
「写真、見てない?」
「見てない」
「私も」
そこで会話が終わった。
一時間目が始まり、先生が出席を取る。黒板にチョークが当たる音、教科書をめくる音、窓の外の運動部の声。学校は昨日までと変わらない。
昼休みには、莉子が私の机に来た。
「今日、帰りどうする?」
「まっすぐ帰る」
「うん。私も」
「駅前、通るけど」
「ゲームセンター側、見ないで行こう」
「うん」
私たちはそれ以上、あの写真の話をしなかった。
放課後、部活へ向かう生徒が廊下を走っていく。私は先生に提出物を渡してから、少し遅れて教室を出た。莉子は委員会があるので、先に別の階へ向かっている。
廊下の窓から、校舎の中庭が見えた。植え込みの横を、一人の女子生徒が歩いていた。
見慣れない制服だった。
白い半袖のシャツ。濃い紺のスカート。背中まである髪を、片方だけ耳の後ろで留めている。
胸元には、灰色の幅広いリボンがあった。
私は立ち止まった。
その子は中庭の向こうを、ゆっくり歩いていた。私のいる二階の廊下には一度も顔を向けない。階段の陰に入るまで、後ろ姿しか見えなかった。
顔を確認すればよかったのかもしれない。
でも、私は窓から離れた。
呼び止めなかった。追いかけなかった。
ただ、鞄の中にはないはずの薄い紙の感触を、指先に思い出しながら。