長編
文化祭の合図
文化祭の片付けの日に撮られた写真には、私の覚えのない妙な手の形が何度も写っていた。その意味に気づいたとき、見ていたはずの位置が静かに反転する。
第1章
「ねえ、文化祭の写真見返してたら、普通に嫌なやつ見つけたんだけど」
そう言ったら、机の向こうでポテチ食べてた子がすぐ食いついた。
「なにそれ、幽霊?」
「その聞き方、軽」
「だって文化祭の写真なんて、変顔かブレか半目しかないじゃん」
「それなら平和だった」
放課後の教室は、中途半端に明るかった。
十月の終わりで、窓の外はもう夕焼けが薄くなってるのに、教室の蛍光灯はまだつけてなくて、みんなの顔がちょっとずつ影になってる。文化祭が終わって一週間くらい、やっと片付けのバタバタも落ち着いて、残ってるのはだらだら喋る用事しかない日だった。
「怖いやつ?」
「たぶん」
「たぶんってなに」
「自分でも、どこから怖かったのかうまく言えない感じのやつ」
こういう言い方すると、だいたい「話して」が始まる。
わかってたけど、ほんとはあんまり話したくなかった。話すと、そのときの空気まで思い出すから。
「じゃあ、笑わないで聞いてよ」
「努力はする」
「その言い方は絶対笑うやつじゃん」
私はスマホを机に置いて、画面は伏せたままにした。
「文化祭の最終日。うちのクラス、片付け当番が最後まで残ってたのね。大道具の板とか、貸し出しの延長コードとか、飾りの布とか、とにかく返すものが多くて」
「わかるー。あれ地味にだるい」
「しかも先生は“ちゃんと分別して”しか言わないし」
「それそれ」
みんながうなずくから、少しだけ話しやすくなる。
「で、片付けしながら、ずっと写真も撮ってたの。最後だし、みたいなノリで。教室で撮って、廊下で撮って、ゴミ袋持ちながらも撮って。あとでアルバムに上げるやつ」
「青春だ」
「言い方きも」
私は笑いながらも、その先を思い出して、すぐ真顔に戻った。
「最初に変だなって思ったのは、その写真の中に、私の覚えのない手の形が何回も写ってたこと」
第2章
その日の私は、ずっと左手がおかしかった。
いや、実際に痛いとかじゃない。
写ってる形が、おかしい。
一枚目は、教室の後ろで黒板消しクリーナーのコードをまとめてるときの写真だった。誰かがふざけて横から撮ったやつで、私は半分しか写ってない。顔もちゃんと見えてないし、別に主役の写真じゃない。
なのに左手だけ、変に目立ってた。
指を二本だけそろえて、下に向けてるの。
ピースの途中をやめたみたいな、中途半端な形。最初は「なにそのダサいポーズ」って笑われた。
「でも、私そんなことした記憶ないんだよね」
「まあ無意識じゃない?」
「私もそう思った。最初は」
二枚目は、特別棟に返却物を運んでる途中の廊下。
三枚目は、展示で使った脚立をたたんでるところ。
四枚目は、自販機の前で休憩してるところ。
どれも撮った人が違うし、時間も少しずつ違う。
なのに全部、私の左手が同じ形だった。
指二本を、下に。
まるで床を指してるみたいに。
「え、クセとかじゃなくて?」
「それが、ふだんの写真だと一回もやってないの。文化祭の片付けの日の、それも特別棟の近くで撮られたやつだけ」
そこで、ひとりが「あ」と声を出した。
「それ、場所いやじゃない?」
「そう。場所もいやだった」
特別棟の二階の端に、小さい準備室みたいな部屋がある。
今はほぼ使ってなくて、たまに行事の道具をしまうくらい。廊下のつきあたりで、窓も小さくて、夕方になるとそこだけ空気が古いみたいに暗くなる。
文化祭の日、私は何回かそこを往復してた。
ガムテープの箱返したり、模造紙の芯を運んだり、先輩から借りたライトを戻したり。別に珍しいことじゃない。先生もいたし、ほかのクラスの子も通ってた。
ただ、そのたびに、変なことはあった。
最初は、音。
準備室の中から、軽くノックするみたいな音がした。
こん、こん。
でも鍵は閉まってるし、先生も「そこ今使ってないよ」って言ってたから、誰かの荷物がぶつかっただけかなって流した。
次は、声。
廊下の向こうから、同じクラスの子に呼ばれた気がした。
『こっち手伝ってー』
そんな感じの、普通の声。
振り向いたけど誰もいなくて、少ししてから別方向の教室から本物のその子が出てきた。まあ、聞き間違いかなで済むくらいのこと。
そういうのが、何回か。
「ちょっとずつ嫌なやつじゃん」
「そう。いきなりじゃないのがいちばんだるい」
その夜、クラスのアルバムに写真が一気に上がった。
私は家でお風呂入って、髪乾かしながらだらだら見てた。変顔ばっかで、普通に笑ってた。
でも、特別棟の近くで撮られた写真だけ、妙に手が止まる。
私の左手。
下を指してるみたいな、あの形。
それで五枚目を見たとき、やっと気づいた。
私、どの写真でも、カメラを見てなかった。
レンズじゃなくて、そのすぐ下を見てた。
もっと言うと、カメラを持ってる子の足元のあたりを、じっと。
第3章
「え、それ普通に怖い」
「でしょ」
私はそのとき初めて、写真を拡大した。
画質はそんなによくないし、夕方だから全体にざらついてる。だけど、目線くらいはわかる。私は全部の写真で、笑ってるくせに、視線だけ別のところに落ちてた。
しかも一枚だけ、もっと変なのがあった。
動画みたいに少し動くやつ。
誰かのスマホで撮った、三秒くらいの短い写真。私が準備室の前で段ボールを持ち上げて、カメラを向けられて「やめてって」って笑う、その瞬間。
最初は普通。
ほんとに普通だった。
でも最後の一秒で、画面の端、撮ってる側のすぐ近くで、白いものがすっと下に動いた。
布みたいにも見えるし、腕みたいにも見える。
しかもその瞬間だけ、私の左手が、ぴくっと動く。
指二本をそろえて、もっと強く下に向ける。
「そこ見ないで」って合図するみたいに。
鳥肌が立った。
私はすぐにその動画をもう一回見た。
音は入ってない。でも、画面の中の私は確かに何か言ってる。唇が動いてるのに、なんて言ってるかわからない。
だから次の日、学校で同じ写真を撮った子に聞いた。
「このとき、なんか言ってた?」
そしたら、その子は少し考えてから言った。
「え、たしか“下見ないで”って言ってなかった?」
意味がわからなかった。
私、そんなこと言う理由ないし、そもそも記憶にない。
「ふざけてたんじゃない?」
「私が?」
「文化祭テンションだったとか」
そう笑われたけど、笑えなかった。
その日の帰り、私はどうしても気になって、特別棟の二階を通った。
用事なんかなかったけど、確認したかった。明るいうちなら平気だと思ったし、人もまだいたから。
廊下には、普通に西日が差してた。
窓のさんにほこりが光ってて、掃除のワゴンが端に寄せてあって、どこも特別じゃない。準備室の扉も閉まってたし、鍵もかかってた。
なのに、そこを通った瞬間、ポケットのスマホがぶるっと震えた。
クラスのアルバムに、新しい写真が一枚追加された通知だった。
開くと、昨日の片付け中の写真。
撮った覚えのない角度のやつだった。
廊下の少し奥から、こちらに向けて撮ってる。
画面の手前に、スマホを構えてる誰かの指が少しだけ写り込んでて、その向こうに私と、同じクラスの子がひとり立ってる。たぶん返却物の確認してるとき。
私の左手は、またあの形だった。
そして、隣の子の足元ぎりぎりのところに、影があった。
人の影、に見えた。
でも窓の向きがおかしい。そこに影が落ちる角度じゃない。
「それ、送ってきたの誰?」
「そこが変なの。投稿者の名前、空欄だった」
みんなが一瞬黙った。
「空欄ってある?」
「ないと思う」
私もないと思う。
でもそのときは、ほんとに空欄だった。
第4章
その日の放課後、同じクラスの子に付き合ってもらって、私はもう一回だけ特別棟に行った。
「いやすぎる」
「でもひとりじゃ行きたくなかったし」
相手は、写真に写ってた子。
事情を話したら、「それなら逆に見たい」ってタイプで、わりと平気な顔してついてきた。
「で、その子がさ、ずっと“同じ場所でもう一回撮ってみようよ”って言うの」
「やだやだやだ」
「私もやだよ。でも押し切られた」
夕方で、廊下はもう半分暗かった。
教室のある棟より人が少なくて、話し声も遠い。窓の外はオレンジ色だったのに、廊下の奥だけは先に夜になってるみたいだった。
準備室の前まで来て、その子がスマホを構える。
「はい、昨日と同じ感じでー」
「やめてって、ほんと」
そう言って段ボールの代わりに空の手を上げた、そのとき。
扉の向こうから、声がした。
『これ、どこ置けばいい?』
すごく普通の声だった。
同じクラスの、たしかに知ってる子の声。
一緒にいた子が、反射でそっちを向いた。
「え、まだ誰かいた?」
私はその瞬間、昨日の写真のことより先に、動画の最後を思い出した。
私の口。
あの形。
下見ないで。
理由もなく、私は一緒にいた子の袖をつかんだ。
「返事しないで」
「は?」
「いいから、しないで」
自分でも、なんでそんな必死な声が出たかわからない。
でも言った瞬間、準備室の扉の下のすき間に、影が寄った。
人が中に立ってるみたいに、黒く。
なのに、その影、床についてなかった。
すき間の線にぴったり沿うみたいに、ただそこに黒さだけが増えた。
ぞわっとした。
隣の子も、それでやっと黙った。
そのとき、廊下の窓ガラスに、私たちが映った。
私。
隣の子。
それからもうひとつ、スマホをこっちに向けて立ってる影。
ガラスの中にだけ、いた。
しかもその位置が、昨日の写真と同じだった。
私たちの少し斜め前。撮る側の場所。
私は思わずそっちを見た。
ガラスの外、現実の廊下には誰もいない。
でも映り込みの中の私は、現実の私より先に動いた。
左手を上げて、指二本をそろえて、下を指した。
その合図の意味が、そのときやっとわかった。
私が見てたのは、カメラの下なんかじゃなかった。
撮ってるものの、足元。
そこから伸びてる、影じゃない影を見てた。
『ねえ』
また、扉の向こうの声がした。
今度は、私の声だった。
『こっち見てよ』
隣の子が小さく息をのんだ。
私はその子の手首をつかんで、ほぼ引きずるみたいに走った。階段まで走って、明るい渡り廊下まで出て、やっと止まった。
そこで二人とも、しばらく何も言えなかった。
第5章
「うわ……」
「それ、無理すぎる」
「その子、大丈夫だったの」
「大丈夫。次の日ふつうに来てた」
私はそう言って、少しだけ肩の力を抜いた。
「あのあと先生に言ったら、“準備室は昨日から誰も使ってない”って。鍵も職員室にあったって。まあ、そうだろうなって感じだけど」
「写真は?」
「消した」
「えらい」
「いや、残してたらたぶん見ちゃうし」
ほんとは、一枚だけ消せなかった。
最後に通知で追加された、投稿者名が空欄のやつ。
消そうとすると画面が止まるから、そのままアルバムの深いところにある。見返してはいない。見返したくない。
ただ、その日以降、写真を撮られるときにだけ少し困るようになった。
みんな普通に「はいチーズ」って言うじゃん。
文化祭の打ち上げでも、球技大会でも、帰り道のコンビニ前でも。そうすると私は一瞬、レンズじゃなくて、そのすぐ下を見そうになる。
誰かの足元。
その影。
そこに余計なものがないか、確認したくなる。
「で、オチは?」
急かされて、私は机の上のスマホをひっくり返した。
画面には、さっき雑談の流れで適当に撮った、この教室の写真が開いていた。みんながだらっと机に寄ってて、お菓子の袋が散らかってて、ぶれてて、ほんとにただの放課後の一枚。
「さっき、これ撮ったじゃん」
「うん」
「別に普通じゃない?」
「普通だよ」
私は画面を少し拡大した。
写真の端、机に肘をついて笑ってる私がいる。
顔はぶれてるし、目線もよくわからない。そこまでは普通。
でも左手だけ、はっきり写ってた。
指二本をそろえて、下に向けてる。
しかも今度は、カメラのほうじゃない。
この写真を見ている、こっち側を指してた。
みんなが黙った。
私はそこで、ほんとは言うつもりのなかったことまで思い出した。
さっきこの写真を撮ったとき、シャッター押す直前に、画面の下から誰かの声がしたの。
すごく小さく。
『見ないで』
聞き間違いだと思いたい。
思いたいけど、あのとき私は反射で机の下を見そうになって、ぎりぎりでやめた。
だから、まだわからない。
あの合図が、今も私を守ってるのか。
それとももう、撮る側と写る側が入れ替わってるのか。
ただひとつ言えるのは、それ以来、私は写真を撮る前にぜったい足元を確認しないってこと。
だってもし、ほんとうに何かいたとして。
先に見つけるのが私のほうだったら、次に合図を返す役は、たぶん私になるから。