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短編

雨の停留所に落ちる秒針

毎週木曜の雨の夕方にだけ現れる停留所で、青年は亡き母に返せなかった「十分」を受け取り直す。

Genre
幻想日常
Series
単発
#雨#停留所#記憶#再会#喪失

その停留所は、雨の日の木曜の夕方にしか現れない。

そう教えてくれたのは、商店街のいちばん端で傘の骨を直している老人だった。冗談とも本気ともつかない口調で、「時刻表にはないが、時刻にはある」と言ったので、僕は笑うべきか迷い、結局、会釈だけして通り過ぎた。

けれどその週の木曜、母の三回忌の帰り、僕は本当にその停留所を見つけてしまった。

雨は朝から細く降り続いていた。墓地から駅へ向かう道の途中、今は使われていないはずの旧道に、白い丸屋根の小さな停留所がぽつんと立っていた。見覚えのないものなのに、昔からそこにあったもののようでもあった。透明な側板に水滴が流れ、ベンチの青い塗装は少し剥げている。標識には路線名も会社名もなく、ただ「十分後」とだけ書かれていた。

僕はその文字を見て、なぜだか足が止まった。

十分後。

奇妙な行き先だと思った。いや、行き先ですらない。時間そのものだ。笑って通り過ぎるべきだったのに、その日だけはできなかった。母の法事の席で、親戚たちは思い出を上手に話していた。料理の味、昔の癖、あの人らしい言い回し。僕だけがうまく喋れなかった。思い出がないわけではない。ただ、いちばん肝心な場面だけが、いつも曇り硝子の向こうにあるようで、手を伸ばすほど輪郭が遠のくのだった。

高校三年の秋、母が倒れる前の晩、僕は「ちょっとコンビニ行ってくる」と言った母に、「あと十分待って」と返した。その十分のあいだ、僕はイヤホンをしていて、母が玄関で咳き込んでいたことに気づかなかった。気づいたときには遅かった、というほど劇的なことではない。救急車は来たし、処置もされた。母はその夜を越えた。けれど容体は少しずつ悪くなり、半年後に亡くなった。医者は直接の因果などないと言ったし、父もそう言った。頭では理解している。それでも僕の中では、あの十分だけが、いまだに返却されずに止まっている。

雨の音しかしない停留所で、僕はベンチに座った。

しばらくすると、一台のバスが来た。音もなく、霧の中からにじみ出るみたいに現れた。車体は古い路線バスの形だったが、行き先表示には何もない。ドアが開くと、制服でも私服でもない灰色の上着を着た運転手が、こちらを見ずに言った。

「お持ちでしたら、時計を」

僕は左手首を見た。法事なので、珍しく腕時計をしていた。母の遺品整理のとき、机の引き出しから出てきた古い手巻きの時計だ。秒針が少し遅れる癖がある。言われるまま外して運転手に渡すと、彼はそれを手のひらで一度だけ裏返し、小さな切符をくれた。

白い切符には、「十分・片道」と印字されていた。

「戻れますか」
「行った先で決めてください」

運転手はそれだけ言った。

乗客は僕一人だった。車内には濡れたコートの匂いも、エンジンの震えもない。窓の外は雨に曇っているのに、走り出してからの景色はほとんど変わらなかった。町の輪郭が少しずつ薄くなり、その代わり、耳に覚えのある音が近づいてくる。食器の触れ合う音、テレビの低い笑い声、給湯器が唸る音。どれも昔の家の、夕方の気配だった。

やがてバスは止まり、僕は降りた。

そこは、もうなくなった団地の前の道だった。郵便受けの赤錆びた並び、植え込みの沈丁花、階段の踊り場に置かれた子ども用の自転車。雨は降っていない。空は暗くなりかけの藍色で、窓のいくつかに灯りがともっていた。

団地の三号棟、二階の角部屋。玄関の前に立っただけで、胸の奥がきしんだ。中から、母の咳払いが聞こえた。

僕はノックをしなかった。できなかった。代わりに半開きの窓の下まで回ると、レースのカーテン越しに居間の明かりが見えた。母がキッチンに立ち、やかんの湯気の向こうで背中を少し丸めている。まだ若い。いや、当時の年齢なのだから当然なのに、僕の記憶の中の母よりもずっと若く見えた。

テーブルには参考書が開いていて、イヤホンをした高校生の僕がソファにだらしなく座っていた。自分を外から見るのは奇妙だった。頬杖をつき、何かに苛立った顔をしている。たぶん模試の結果が悪かった頃だ。世界のすべてが自分の敵に見えていた時期。

母が玄関のほうへ行く気配を見せた。そこで僕はようやく、自分が何のためにここへ来たのか理解した。あの十分を取り戻すためじゃない。そんなことはできない。僕が欲しかったのは、あのとき言えなかった一言の置き場所だ。

窓ガラスを、僕は指先で軽く叩いた。

母が振り向く。若い母の目が、一瞬だけまっすぐこちらを見る。レース越しだから表情はよく見えない。それでも、見えてしまった気がした。驚きではなく、確認に近いまなざし。まるで、来ることを知っていた人みたいに。

母は居間のテーブルに戻り、メモ帳を一枚ちぎった。何かを書いて、開いていた参考書の上に置く。それから玄関へ向かい、靴を履き、こちらへはもう目もくれず、外へ出ていった。

数秒後、部屋の中の高校生の僕が、母の残した紙に気づく。面倒そうにイヤホンを外し、読み、立ち上がる。玄関に走る。そこで映像は、水にインクを落としたみたいにゆっくりと滲んで崩れた。

気がつくと、僕はまたバスの中にいた。膝の上に、あのメモ帳の切れ端だけが乗っていた。

震える手で開くと、母の字でこう書いてあった。

「十分くらい、待てる人になりなさい。
でも、十分あれば、誰かを追いかけることもできるよ」

それだけだった。責める言葉はどこにもなかった。許すという言葉すらなかった。もっと曖昧で、もっと正確な書き方で、母は僕の中に引っかかっていた時間の形を言い当てていた。

バスが停留所へ戻ると、運転手は無言で僕の腕時計を返した。秒針は止まっていなかった。むしろ今までより、すこしだけ規則正しく進んでいるように見えた。

「片道ではなかったんですね」と僕は言った。
「受け取り方によります」

運転手はそう言ってドアを開けた。

外に出ると、旧道の停留所はすでに薄くなっていた。雨脚が少し強まっている。標識の「十分後」という文字は滲み、もう読めなかった。僕は傘を開き、商店街のほうへ歩き出した。

途中、あの傘修理の老人の店の前を通ると、店先のラジオが天気予報を流していた。老人は僕の顔を見るなり、「間に合ったか」とだけ言った。

「何にですか」
「さあね。だいたいそういうものは、間に合った後でないと名前がつかん」

老人はそう言って、折れた骨を一本、器用にまっすぐにした。

その夜、家に帰って机の抽斗を整理していると、古い参考書が一冊出てきた。ぱらぱらとめくると、途中のページに何かが挟まっている。薄く黄ばんだ、小さなメモだった。今まで気づかなかったはずはないのに、確かにそこにあった。

「牛乳を買ってきて。急がなくていいけど、雨が強くなる前に」

母の字だった。記憶にある内容とは少し違う。僕はしばらくその紙を見つめ、それから笑ってしまった。泣くより先に、笑いが来た。母は最後まで、命令とお願いの中間みたいな言い方をする人だった。

翌週の木曜、僕はまた旧道へ行った。晴れていたので、停留所はなかった。再来週も、その次も、やはり見つからなかった。けれど不思議と焦りはなかった。もう一度会いたい気持ちはある。それでも、会えなくてもいいと思えた。返してもらうべき十分は、もうどこかへ失せたのではなく、自分の中で動き始めていたからだ。

僕は仕事の帰り、スーパーで牛乳を一本買った。べつに家には余っている。誰に頼まれたわけでもない。それでも、ビニール袋の重さが妙にしっくりきた。

信号待ちで、腕時計を見る。秒針が静かに円を描いている。その小さな進み方を眺めながら、僕はふと思う。時間は前へ進むものだと、ずっと教わってきた。たぶんそれは正しい。けれどときどき、人は前へ進むために、取りこぼした数分を拾いに戻るのだろう。戻った先で過去を書き換えるためではなく、そこに置きっぱなしだった自分の手を、もう一度、自分で握るために。

雨は降っていない。けれど町のどこかで、きっとまた、見えない停留所が現れている。十分後へ行くための、あるいは十分前から帰ってくるための、小さな屋根の下で。