短編
実家の中の誰か
実家に帰省した男が、家の中に“見覚えのない家族”の気配を感じ始める。
正月三が日の最終日、佐々木悠人は三年ぶりに実家に帰った。
郊外にある築四十年の一戸建て。父が亡くなってからは母が一人で暮らしている。悠人は東京での仕事が忙しく、ずっと顔を出せずにいた。
「おかえり、ゆうちゃん。元気にしてた?」
母は以前より少し痩せたように見えたが、笑顔は変わらなかった。
玄関を上がり、仏壇に線香をあげると、家の空気が懐かしくも重たく感じられた。湿った畳の匂い、軋む廊下、夜の静けさ――昔から何となく落ち着かない感覚が、この家にはあった。
食卓には煮しめや黒豆が並び、テレビからは正月特番の賑やかな声が流れている。食後、風呂に入り、昔の自分の部屋に戻った悠人は、布団にくるまってすぐに眠りに落ちた。
だが、夜中――不意に目が覚めた。
廊下の奥から、足音がする。
ギシ、ギシ……と、畳を踏みしめる音。誰かがトイレにでも起きたのだろうと思ったが、その音はトイレを通り過ぎ、悠人の部屋の前で止まった。
(……母さんか?)
寝たふりをしたまま、息を潜める。
すると、ふすまの向こうで、何かが微かに囁いた。
「……ゆう……ちゃん……」
母の声に似ているが、何かが違う。湿った、粘つくような響き。体が強張る。
数秒後、足音はゆっくりと去っていった。
朝、食卓で「夜中に起きた?」と母に訊ねると、「あたしはぐっすり寝てたわよ」と首をかしげた。
不思議に思いながらも、その日は近所の神社に初詣に行き、午後は母と昔のアルバムを眺めて過ごした。
ふと、一枚の写真に目が留まる。
古びたリビングで、悠人、母、そして……見知らぬ男の子が写っている。年齢は五歳くらい。顔はぼんやりとピントが合っておらず、服装も記憶にない。
「これ、誰?」
「え?」と母は手を止めた。
「……ああ、隣の家の子じゃなかったかしら。ほら、あの頃よく遊びに来てた……」
母の目が泳いでいるように見えた。
夜。またあの足音がする。
ギシ……ギシ……部屋の前で止まり、今度はふすまの影に、人の影が映った。
(どうする……)
ふすまを勢いよく開けると、誰もいなかった。
翌日、悠人は仏壇の掃除を手伝っていた。仏壇の奥に、古い位牌が一つ増えているのに気づく。
「母さん、これ誰の?」
「え?」
母はふと黙り込み、そのまま掃除を続けた。
名前は読めないほど薄れていたが、そこに彫られていたのは、どうやら「佐々木〇太」という文字だった。
夜。再び目を覚ますと、ふすまが少しだけ開いていた。わずかな隙間から、何かがこちらを見ている。
子どものような、小さな影。
「……ゆうちゃん、あそぼ」
その声に、悠人はもう布団から出ることができなかった。
翌朝、悠人は東京に戻った。
荷物の整理をしていると、スーツケースの中に、あの写真が入っていた。三人が写った、例の写真。
だが、そこには新たな人物が増えていた。
もう一人――悠人の後ろに立つ、ぼやけた顔の子ども。
白黒のその顔は、口だけがにやけて、目が塗りつぶされたように黒かった。
そして写真の裏には、筆跡の違う文字で、こう書かれていた。
「ぼくの ばしょを かえして」
悠人は、その写真をそっと、ゴミ箱に捨てた。
だが、その夜――東京の自宅の廊下でも、あの足音が聞こえ始めた。