短編
カラオケ密室
一人で入ったカラオケルームで、歌っていないはずの声が流れた。
大学の講義が早く終わった平日の午後、佐伯は一人でカラオケに行くことにした。最近、ストレスがたまっていた。ひとりカラオケは気分転換にちょうどよかった。
駅前のチェーン店。フロントで一人利用を伝えると、すんなりと部屋に通された。「306号室です」と渡されたリモコンとドリンクバーのカップ。
部屋に入ると、壁が薄暗く、やけに静かだった。いつもと違って、隣の部屋からの音も聞こえない。まぁ平日の午後だ、他の客が少ないのだろうと思い、気にしなかった。
最初の一曲は、定番のバラード。マイクを握り、画面の歌詞を追いながら歌い出す。
だが、サビに差しかかる頃、不意に別の“声”が重なってきた。
誰かがハモっている。
それも、完全に自分と同じタイミングで、同じメロディーラインを、完璧に。
思わず歌うのをやめると、もう一つの声もピタリと止まった。
気のせいかと思い、もう一曲入れてみる。今度はアップテンポなロック。
すると、またしても別の声が。
今度は明らかに違う。低く、ざらついた男の声。まるで、自分の歌にかぶせるように、ぐちゃぐちゃに歌ってくる。キーもリズムもおかしい。けれど、テレビ画面には一人分の歌詞しか表示されていない。
怖くなってマイクを置き、リモコンを手に取る。
「履歴」ボタンを押すと、奇妙なことに気づいた。
自分が入れた覚えのない曲が、すでに十数曲、キューに入っている。
しかもそのすべてが、タイトルのない、無音の曲だった。
1分近くの長さがあるその“曲”を試しに再生してみると、スピーカーから、がさがさという雑音と共に、小さな“すすり泣く声”が聞こえてきた。
女の子の声だった。苦しそうに、何かを言おうとしているようだったが、はっきりとは聞き取れなかった。
背中に冷たい汗が流れた。
すぐに部屋を出ようとしたが、ドアが開かない。
オートロックではない。物理的に、開かない。ドアの小窓の向こうは暗く、誰もいない。
パニックになってフロントに電話をかけようとスマホを取り出したが、圏外だった。
そのとき、部屋のテレビが勝手に切り替わった。
モニターに映し出されたのは、監視カメラのような映像。どこかのカラオケルーム。
その中で、ひとりの女子高生が泣きながら歌っている。
画面右上には、見覚えのある部屋番号が表示されていた。
「306号室」
彼女は突然、苦しみ出し、喉を押さえて倒れた。映像はぷつりと切れた。
次の瞬間、部屋のスピーカーから、ざらついた声が流れた。
「つぎは……おまえのばん……」
気づいたとき、佐伯は外にいた。ビルの裏手、非常階段の下。
顔や手には小さな傷があり、スマホの時計は三時間も進んでいた。
慌ててカラオケ店に戻ると、店員は言った。
「え? 306号室は、もう何年も使ってませんよ。防音設備の故障で、封鎖してるんです」
だが、佐伯のスマホには――
「履歴:306号室、録音保存完了」
という通知が残っていた。
再生ボタンを押す勇気は、なかった。