短編
水谷を壊す
地元の川にまつわる“遊び”が、ある少年の心を狂わせていく。
「水谷を壊せって、知ってる?」
夏休みのある日、近所の公園で缶蹴りをしていた時、クラスメイトの恭平がぽつりと言った。
陽に焼けた顔で、にやついている。
「水谷って、あの川?」
「ちげーよ、水谷ってのは“川にいるやつ”の名前。見た目は人間みたいだけど、違う。でさ、夜中に川で名前呼ぶと、出てくるんだって。で、『壊せ』って言うんだよ」
くだらない、と僕は笑った。でも恭平は、妙に真剣な目をしていた。
「ほんとだよ。この前の中山、あれやったら次の日から変になった」
中山は最近学校に来ていない。精神的な病気らしいと、先生が言っていた。
僕の家の近くには、小さな川がある。コンクリートで護岸された用水路のような、たいして綺麗でもない川だ。でも、子どもの頃からなぜか近寄りがたかった。理由はない。ただ、水が底の方で何かを隠しているような気がして。
その夜、僕は川に行った。
怖かったわけじゃない。ただ、何かを確かめたかった。水谷なんて、存在しないってことを。
懐中電灯を手に、川べりに立つ。夜の川は、想像よりずっと暗く、重い匂いがした。
「……水谷」
呼んでみる。声は水音にかき消された。
「水谷を壊せ」
静かだった。何も起きない。やっぱり馬鹿らしい。
帰ろうとした、その時。
ぴちゃ。
水音。
振り向くと、川の中央に人の形をした“何か”が立っていた。水面の上に。顔は見えない。髪が前に垂れている。
でも、わかった。あれが水谷だ。
動けなかった。体が石のように固まったまま、“それ”は静かにこちらに顔を向けた。見えてはいけないと本能が叫んでいるのに、目を逸らせなかった。
水谷の顔は、僕だった。
泣き顔だった。歯を食いしばり、何かを訴えるような目をしていた。
「こわせ」
聞こえた。確かに僕の声で。
その夜から、夢に川が出るようになった。何度も、何度も。水谷は、壊せと言い続けた。
そして三日後、恭平が行方不明になった。
川の近くで、片方だけのスニーカーが見つかったらしい。
誰も騒がなかった。学校も淡々としていて、まるで最初から恭平なんていなかったような雰囲気だった。
僕の部屋の鏡が、ときどき曇る。濡れた手形が浮かぶ。母さんは「結露でしょ」と笑うけど、手形は僕のよりずっと小さい。
昨日、テレビのニュースで中山が自宅で暴れて保護されたとやっていた。
彼は壁に向かってずっと何かを叫んでいたという。
「僕じゃない、あいつが僕を壊したんだ……水谷が」
今夜もまた、川に呼ばれている気がする。
壊さなければならない。
でも、いったい――誰を?