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短編

月曜の返却口

閉館した図書館の返却口に毎週月曜だけ現れる一冊の本をきっかけに、残された人が別れを自分の手で言い直すまでを描く短編。

Genre
現代文学
Series
単発
#図書館#喪失#雨#再出発#日常

図書館が閉まってからも、返却口の音だけは生き残っていた。

金属の蓋が持ち上がり、すぐに戻る。ことん、と一冊が箱の底に落ちる。もう誰も来ないはずの月曜の朝、その音だけが、開館前の習慣みたいに湿った空気を震わせるのだった。

緑町図書館は三月で閉館した。老朽化という名目だったが、近隣の大きな図書館へ機能をまとめるためだと、利用者はみな知っていた。僕は市の臨時職員として、残された本の整理と、最後の返却分の処理を任されていた。窓口は閉じ、閲覧室の椅子は積まれ、児童書コーナーの床に貼ってあった丸いシールも半分はがれていた。なのに返却口だけは、四月に入ってからも毎週月曜に一度、律儀に鳴った。

最初は返し忘れた人がいるのだろうと思った。だが返ってくる本には妙な共通点があった。すべて同じ利用者カード番号で借りられた本だった。文学書ばかり、しかも薄いものばかり。詩集、随筆、短編集。返却日を何度も過ぎているのに、どの本もきれいだった。ページのあいだには、しおりの代わりに白詰草が一輪ずつ押されていた。

カードの名義は高瀬修。

台帳では、その人の利用登録はすでに失効していた。住所は古く、電話番号は空欄だった。僕は毎週、本が一冊ずつ減っていくのを見た。まるで返却しているのではなく、何かを少しずつ手放しているように見えた。

四度目の月曜、僕は返却口のそばで待った。朝から小雨が降っていた。閉館した建物の軒先は静かで、ポスターの剥がし跡だけがやけに白かった。

九時を少し過ぎたころ、ひとりの女の人が来た。紺のレインコートを着て、胸に文庫本を抱えていた。五十代の終わりか、六十代のはじめくらい。返却口の前で一瞬立ち止まり、建物を見上げた。それから、蓋を持ち上げる。

「すみません」

声をかけると、その人は肩を揺らした。けれど逃げるような様子ではなく、ただ見つかったことに少し困った顔をした。

「職員の方ですか」

「ええ。最後の整理をしています」

女の人は、抱えていた本を見た。表紙のやわらかい、古い詩集だった。角が少し擦り切れている。

「もう入れてはいけませんでしたか」

「いえ、返却なら受け取れます。ただ……毎週月曜に返していたのは、あなたですか」

しばらく黙ってから、その人はうなずいた。

「主人の本なんです」

雨が少し強くなり、軒先の端から細い筋になって落ちていた。僕たちは閉館の貼り紙の横で立ったまま話した。

「主人は冬に亡くなりました。入院する前に、ここで六冊借りていて」

女の人は詩集の背を親指で撫でた。

「返せばよかったんです、まとめて。そう思っていたんですけど、家に一冊ずつ置いておくと、あの人がまだ途中まで読んでいるみたいで」

その言い方があまりに静かだったので、僕は相槌を打つこともためらった。

「月曜日に、ここへ来るのが習慣だったんです。駅前でパンを買って、空き地に生えてる白詰草を見て、それから図書館へ来る。主人は難しい顔で棚の前に立つのに、借りるのはいつも薄い本でした。軽いほうが帰り道に向いている、って」

女の人は少し笑った。よく使っていた言葉なのだろう、その笑い方は自然だった。

「全部返してしまったら、家の中から月曜日がなくなる気がして。だから一冊ずつ返していました」

僕は返却口の奥を見た。箱の底に、先週の本に挟まっていた白詰草がまだ一輪、乾いたまま残っているのを思い出した。

「白詰草も、毎回」

「ええ。行き道にまだ咲いていたので。あの人、しおりをよくなくしたんです」

小さな説明の中に、その人たちの年月がまるごと入っている気がした。どれくらい一緒に暮らしたのか、どんな朝を過ごしてきたのか、僕には何もわからない。それでも、白詰草を挟む指先の癖や、図書館までの道のりの長さだけは、はっきり想像できた。

「今日で最後なんです」

女の人は言った。

「最後の一冊なので」

「そうですか」

それしか言えなかった。気の利いた慰めは、閉館した建物みたいに空々しく聞こえそうだった。

僕は代わりに、手にしていたメモ帳を開いた。先週、市内を巡回する移動図書館の案内を書き写したばかりだった。緑町の公園にも月曜の午後、月に二回来る。

「もうここは閉まったままですけど、もしよければ」

メモを差し出すと、女の人は目を落とした。

「移動図書館が来ます。新しいカードも作れます。名義は、ご自分のもので」

その人はすぐには受け取らなかった。雨の音が少しだけ強くなり、閉館のガラス扉に細かな筋を引いた。

「私、自分のカード、持ったことがないんです」

「そうなんですか」

「いつも主人が借りていました。私は横で、これがいいんじゃないって言うだけで」

そこで初めて、その人は少し照れたように笑った。長いあいだ誰かの隣で本を選んできた人の笑い方だった。

「じゃあ、次は自分で選べますね」

そう言うと、女の人はようやくメモを受け取った。指先が冷えているように見えた。

「月曜日なんですね」

「ええ」

「それなら、覚えやすい」

返却口に入れられなかった最後の詩集を、僕は両手で受け取った。ひどく軽かった。けれど、その軽さが、今まで返ってきた五冊分より重く感じられた。

女の人はレインコートの襟を直し、建物をもう一度だけ見上げた。

「ちゃんと返せてよかったです」

その言葉が、本に向けられたものなのか、月曜日に向けられたものなのか、僕にはわからなかった。ただ、返すというのは失うことではなく、持ち方を変えることなのかもしれないと思った。

女の人が歩き出す。雨の歩道の向こう、駅前へ続く道の脇には、たしかに白詰草の生える空き地がある。季節が進めば刈られてしまうような、小さな場所だ。それでも来週も、たぶん花はまだ残るだろう。

僕は返却処理の台帳に、最後の一冊を記録した。名義欄の高瀬修という文字を見つめ、それから慎重に行を閉じる。

閉館した図書館の返却口は、その日を最後に鳴らなくなった。

けれど次の月曜の午後、公園に来る移動図書館の白い車の前で、メモを握ったあの人が、自分の名前をゆっくり書くところを、僕はなんとなく想像できた。雨はもう上がっていて、本を抱えるにはちょうどいい明るさが、きっと町のどこかに戻っている。