短編
おばあさんの箪笥
亡き祖母の家に置かれていた古い箪笥。その引き出しの中に隠されていたものとは。
祖母が亡くなったのは、梅雨の終わりだった。
母の実家でひとり暮らしをしていた祖母は、ある朝、布団の中で静かに息を引き取っていたという。
葬儀を終えた数日後、母に連れられて、遺品整理のために祖母の家を訪れた。
もう何年も訪れていなかったその家は、驚くほど時間が止まっているようだった。時計の針は止まったまま、新聞は何日分も積まれ、畳の匂いと古い梅干しのようなにおいが混じっていた。
居間の奥に、黒塗りの古い箪笥があった。
祖母が嫁入りのときに持ってきたもので、僕が子どもの頃から、あれだけは触ってはいけないと言われていた。
「おばあちゃんの大事なものが入ってるからね」
そう母に言われていたが、中に何があるのか誰も知らなかった。
その日、母は台所の方で食器を片付けていた。僕はひとりで、あの箪笥の前に立っていた。
気づけば、手が勝手に引き出しに触れていた。
軋む音とともに、重たい引き出しがゆっくりと開いた。
中には、古びた木箱が一つ。
蓋を開けると、白黒の写真が数枚と、小さな紙切れが入っていた。
写真には、見知らぬ女の子が写っていた。七歳か八歳くらいだろうか。着物を着て、笑っていた。だが、どの写真にも“同じ子”が何枚も、背景を変えて写っていた。
そして、紙切れには、震えるような筆跡でこう書かれていた。
「かえして かえして わたしのこえをかえして」
その瞬間、背後で箪笥の引き出しが、勝手に“閉じた”。
びくりとして振り向いたが、誰もいない。ただ、かすかに畳がきしむ音がした。
夕方になり、母がふと僕に尋ねた。
「そういえば……その箪笥、最後の引き出しは空だったでしょ?」
「最後の?」
「一番下。開かなかったって聞いてたのよ。おばあちゃん、鍵を失くしたって」
だが、僕が開けたのは――たしかに、一番下の引き出しだった。
夜、祖母の家を後にして、自宅に戻った僕は、なぜか胸の奥がざわついていた。
その晩、夢を見た。
畳の部屋に、あの女の子が立っていた。着物姿のまま、顔だけがこちらを向いている。
口が、開いている。だが声は出ていない。
何かを叫んでいるように見える。何度も、何度も。
「かえして」
目が覚めたとき、喉が異様に乾いていた。鏡を見ると、首元に、爪で引っかいたような赤い線が一本残っていた。
母に聞いても、あの女の子のことは知らないと言う。祖母のアルバムにも、それらしい写真はなかった。
だがそれから、毎晩夢に現れる。
彼女は次第に近づいてくる。無言で、確実に。
そして昨日、箪笥の一番下の引き出しが、家に届いた。
「おばあちゃんの形見だから、あなたに」と母が言った。
中を開けると、あの白黒の写真が、また増えていた。今度は、僕が写っているものも。
笑っていた。隣には、あの少女が立っていた。
顔をこちらに向けて。
そして、笑っていなかった。