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短編

雨の日の遺失物係

駅の遺失物係として働く男が、持ち主のいない「思い出」を預かる雨の日に、自分が置き去りにしていた感情と向き合う話。

Genre
現代幻想
Series
単発
#雨#駅#記憶#喪失#再生

その駅では、雨の強い日だけ、変わった忘れ物が届くことがあった。

傘や手袋や定期入れに紛れて、名前のつけようのないものが窓口へ持ち込まれる。たとえば、誰かの胸の内に一瞬だけ灯った決意。言いかけて飲み込まれた謝罪。もう会えない人の声を思い出す直前の、喉の奥が熱くなる感じ。そういうものはたいてい、透明な飴玉のように見えたり、濡れた紙片のように見えたり、あるいはただそこに空気の歪みとして置かれていたりした。

駅務員たちはそれを「気のせい」と呼んだし、ほとんどの客は気づきもしなかった。けれど遺失物係の棚のいちばん下には、昔から鍵付きの抽斗があって、そこにだけはそうした品を入れる決まりになっていた。

黛修一は、その抽斗の鍵を預かるようになって七年目だった。

三十八歳。独身。改札の音と発車ベルと濡れたアスファルトの匂いに囲まれて暮らし、季節の変化は乗客の服装より先に、忘れ物の質感で知った。春は薄い希望、夏は短気、秋は諦め、冬は言えなかったさようなら。雨の日だけは、それらがいっそう輪郭を持って窓口へ現れる。

その日も朝からよく降っていた。ホームの端が白く霞み、電車の車体に細かな水筋が幾重にも走っている。十時過ぎ、一人の女子高生が改札口の近くでしゃがみ込み、駅員に肩を貸されて窓口まで来た。具合が悪いというより、何かをなくして立っていられないような顔だった。

「何を落としたかわかる?」

若い駅員が尋ねると、彼女はうまく答えられず、唇を噛んだ。制服の袖は雨を吸って重く、指先が小さく震えている。

「たぶん……約束、です」

冗談とも本気ともつかない声だったが、修一にはわかった。彼女の足もとに、薄い青色の切符のようなものが落ちている。拾い上げると、紙よりも軽く、それでいて掌の体温を奪った。表面には何も印字されていないのに、見ていると、夕方の喫茶店、向かい合う椅子、言わなければならなかった一言、という断片が水に浮かぶ油膜のように滲んだ。

「預かります」

修一はそう言って、それを封筒に入れた。

女子高生は何度かうなずいたが、泣かなかった。泣けない人の顔をしていた。去り際に一度だけ振り向き、「戻ってきますか」と聞いた。

「持ち主が受け取りに来れば」

決まりきった返事をすると、彼女は少し笑った。その笑みは、自分が来ないことを知っている人の笑みだった。

昼を過ぎるころ、今度は年配の男が一冊の文庫本を持ってきた。待合室のベンチに置かれていたという。栞の代わりに、ページのあいだへ細い銀色の糸が挟まっている。修一がそれに触れると、すぐに胸が詰まった。誰かが長いあいだ先延ばしにしてきた見舞い。その病室へ向かう途中で、踏み切れなくなった一歩。銀の糸は、行かなかった時間の長さだけ静かに冷たかった。

「本だけでいいんだよ」

男は言った。「でも、妙に気になってね」

修一は文庫本と糸を別々に保管した。こういうとき、現実の忘れ物と、その影のような忘れ物は、しばしば別の持ち主に属している。ある人が本を置き忘れ、別の人が決意を置き忘れる。同じベンチは、いくつもの人生の継ぎ目になる。

午後三時、窓口がひととき空いたころ、修一は抽斗の中身を点検した。封筒や小箱に日付を書き、短い品名をつける。

六月十二日、約束ひとつ。
六月十二日、見舞いへ向かう勇気、少量。
六月五日、父を許せなかった理由。
五月二十九日、プロポーズの返事の後半。
五月十七日、夏の匂いとともに思い出すはずだった歌。

規則では三か月保管し、それでも引き取りがなければ処分となる。処分の方法は簡単だった。封を解き、駅長室の古い流しへ流すだけ。水に触れたそれらはすぐに薄まり、どこへ行くともなく消えていく。

修一はその作業が嫌いだった。誰のものかはっきりしない感情を、ただ排水口へ流していいものか、いまだにわからない。けれど保管棚には限りがあるし、何より、引き取りに来る人間は少なかった。人はなくしたものを探すふりをして、本気では戻ってほしくないものも多い。

抽斗の奥には、修一自身の品がひとつだけある。

三年前の秋、母の葬儀の帰りに自分で拾い、自分で預けたものだった。小さな白い石のように見えるそれには、品名を書いていない。書けなかったのだ。あの日、火葬場から駅へ戻る途中、修一は不意に軽くなった。悲しみが消えたわけではなく、もっと別の、泣く資格のようなものが掌からこぼれ落ちたのだと思った。母が入院していた半年、見舞いの回数は数えるほどだった。忙しかったのも本当だし、足が向かなかったのも本当だ。病室で何を話せばいいかわからず、まだ次があると思っていた。最後は間に合わなかった。

それ以来、修一は泣いていない。

業務終了まであと一時間というころ、窓口のガラスを控えめに叩く音がした。顔を上げると、昼の女子高生が立っていた。雨はやんでいたが、彼女の髪はまだ少し湿っている。

「さっきの、やっぱり返してください」

修一は封筒を取り出した。「心当たりがあるのか」

「あります。たぶん、なくしたままだと困るので」

修一は封筒を手渡しかけて、ふと尋ねた。「戻ってくると、しんどいかもしれないよ」

「はい」

彼女は迷わなかった。「でも、なくしたままだと、もっとずるくなる気がするんです」

その言葉は、鍵のように修一のどこかへ差し込まれた。

女子高生は封筒を胸に抱え、深く礼をして帰っていった。その小さな背中が階段を上がって見えなくなるまで、修一は立ったままでいた。窓の外では、雲の切れ間から遅い西日が差し、濡れたレールを鈍く光らせていた。

閉局後、帳簿をつけ終えると、修一は抽斗のいちばん奥から白い石を取り出した。掌に乗せると、冷たいくせに脈のようなものが微かにあった。

品名はまだわからない。後悔か、怯えか、間に合わなかったことへの言い訳か。あるいは、母に向けるはずだった悲しみそのものかもしれない。修一は長いあいだそれを見ていた。返却先は自分しかいない。けれど受け取れば、今さらどうにもならないことまで、はっきり自分のものになってしまう。

窓口の灯りを半分落とし、シャッターの隙間から夜の風を入れる。遠くで下り列車が通過し、ホームが短く震えた。

「なくしたままだと、もっとずるくなる」

誰に聞かせるでもなく呟いて、修一は白い石を握り込んだ。

最初に来たのは痛みではなかった。古びた病室の白さだった。加湿器の蒸気。母が剥いてくれた林檎の皮の長さを、子どものころ競った記憶。見舞いに行かなかった夜、自分がコンビニで無意味に時間を潰していた蛍光灯の眩しさ。次に来たのは、母の声だった。責める声ではなく、あの人らしく、ひどく事務的な声で、ちゃんと食べなさい、傘持ったの、と言うだけの声だ。その平凡さが、修一の胸を遅れて裂いた。

彼は誰もいない窓口で、初めて声を立てずに泣いた。涙は静かに落ち、カウンターに小さな円を作った。取り返しのつかないことは取り返せないままだった。謝る相手ももういない。過去は少しも書き換わらない。それでも、失くしたことにして棚へしまっていたものを、自分の手に戻すことだけはできた。

しばらくして顔を上げると、ガラス窓に映る自分は、朝と同じ制服を着ているのに、ほんのわずか違って見えた。疲れて、情けなく、だが前より空っぽではなかった。

修一は帳簿を開き、空いていた欄に書き込んだ。

六月十二日、返却済み。

品名は最後まで書かなかった。その代わり、明日の勤務表の余白に、休憩時間変更の申請を書いた。午後二時から三時まで。電車で四駅先の墓地へ行くには、それで足りるはずだった。

駅を出ると、雨上がりの匂いが街じゅうに満ちていた。水たまりはまだ空を抱え、信号待ちの人々の足もとで、小さな夕焼けを揺らしている。修一は傘を差さずに歩いた。濡れるほどの雨は、もう降っていなかった。