短編
生徒帳
学校に存在しないはずの名前が、生徒名簿に書き加えられていた。
「おかしいんだよ、どう考えても」
放課後の職員室で、教頭が小さな声でそう呟いた。
国語教師の川野は、その言葉に首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「生徒名簿さ、今朝確認したときは載ってなかったのに、さっき見たら増えてたんだよ、一人」
「増えた……って、転校生ですか?」
「違う。転入の手続きなんて何も来てない。それに名前……見覚えがあるんだよ。だけど……おかしい」
教頭が広げたのは、学年別の生徒名簿だった。
三年二組。最後の行に、震えるような文字で書かれていた。
「山下 紗季(やました さき)」
確かに、他の名前と同じフォントで印字されている。しかし、川野は確信していた。この名前は、つい先週までなかった。
「誰ですか、この子……?」
川野がそう尋ねると、教頭は唇を噛んだまま何も答えなかった。
不気味な空気を引きずったまま、その日が終わった。
翌朝。川野は三年二組の授業に入った。
教室には、見慣れない女子生徒が座っていた。窓際の一番後ろ。
長い髪、顔色の悪い肌。クラスメイトたちは、誰も彼女に話しかけていなかった。
「……あの、そこの……名前は?」
「山下 紗季です」
彼女は淡々と答えた。
その声を聞いた瞬間、川野の背中に冷たい汗が流れた。どこかで、確かに聞いたことがある声。
思い出せない。ただ、嫌な予感だけが、脳裏にまとわりついて離れなかった。
昼休み、川野はこっそりと三年二組の副担任に話を聞いた。
「山下さんって、生徒だったっけ?」
副担任は、少し考えてから答えた。
「……ああ。確か去年、屋上から――」
言いかけて、口をつぐんだ。
川野は心臓が止まりそうになった。
去年、屋上から転落して亡くなった女子生徒。
事故として処理されたが、生徒たちは「いじめだった」と噂していた。
その生徒の名前――確かに、「山下 紗季」だった。
だが、そんなはずはない。亡くなった生徒が、今、教室に座っているなんて。
放課後、川野は職員室で再び名簿を確認した。
そこには、確かに山下紗季の名前があった。
ただ、今度はその下にもう一つ、新しい名前が加えられていた。
「川野 裕也(かわの ゆうや)」
自分の名前だった。
耳元で、少女の声が囁いた気がした。
「せんせい、また、いっしょにいられますね」
振り返っても、誰もいなかった。
川野の姿は、それ以降学校から消えた。
職員たちは彼の机を片付けたが、引き出しの中には一枚の名簿だけが残されていた。
その一番下に、新しい名前がひとつ――震える文字で、書き加えられていた。