短編
影の返却窓口
市役所の奇妙な窓口で働く青年が、返されない影を通じて別れの遅れを知る物語。
市役所の西別館には、古い制度ほど新しい建物へ押し込められる癖があった。
戸籍や税の窓口が本館に残るいっぽうで、誰も急がない手続きだけが西別館へ追いやられる。その一階の突き当たり、印紙売場のさらに奥に、ぼくの勤める窓口がある。青いプレートには「影の返却」とだけ書かれていた。
もちろん、普通の市民は冗談だと思う。たいていの人は案内図を二度見してから通り過ぎるし、迷いこんできた高校生は記念写真を撮って帰る。だが、必要な人は迷わない。必要な人には、自分の足もとにあるものの重さが、急に耐えがたくなる時があるからだ。
人が死ぬと、まれに影だけが遅れて残ることがある。
焼かれても、埋められても、写真立ての横や、流し台の足もとや、ベランダの物干し竿の下に、本人だけが抜けた形で薄く残る。放っておいても害はない。ただ、家の中の光の具合がいつまでも片づかない。遺された者は、そこをまたいだり避けたりしながら生活するうち、別れの時刻だけが家の中で遅れつづける。
ぼくはその影を受け取り、番号をつけ、紙の封筒に入れて保管する。月末に県の集積所へ送る。仕事内容はそれだけだった。採用されたとき、人事課の職員は「感情移入しない人向きです」と言った。ぼくは二十六歳で、たしかに愛想が薄く、役所向きの顔をしていたから採られたのだと思う。
七月の終わり、午後三時すぎに、一人の女がやってきた。
年齢は四十代の後半だろうか。白いブラウスの襟が少し湿っていて、手提げ袋を両手で持っていた。窓口の前まで来て、影だけでなく自分の声も忘れてきたように黙っていたので、ぼくは定型どおりに言った。
「返却ですか」
女はうなずいた。それから手提げ袋の口を開いた。中には何も見えない。だが、窓口のガラスの上に置かれた瞬間、蛍光灯の光がわずかにゆがみ、黒い染みのようなものが袋の底で呼吸した。
「主人のです」と女は言った。
「四十九日も過ぎたのに、台所に残っていて」
「確認します」
ぼくは白手袋をはめ、袋の底に指を差し入れた。影は水より軽く、紙よりも扱いづらい。持ち上げると、人の肩から肩へかかる疲労の形がした。男の影だった。癖のある左肩、少し前に傾いた首、片方の踵がわずかに浮いている。生きていたときの姿勢というのは、骨より先に影に定着するらしい。
「お名前を」
「杉本達郎です」
「返却理由は」
「歩くたび、そこにいるので」
女はそう言ってから、申し訳なさそうに笑った。
「洗い物をしていると、後ろで待ってるみたいで。生きてる間、あの人、食べ終わるとすぐ流しに皿を持ってきて、私が洗うのを、横でぼうっと見てる人だったんです」
窓口では、そういう話は珍しくない。影はたいてい、いちばん習慣の濃い場所に残る。玄関、食卓、寝室のカーテンの前。愛情というより、反復が残留するのかもしれない。
申請書を差し出すと、女は丁寧な字で名前を書いた。理由欄に少し迷い、それから「生活に支障があるため」と役所向けの言葉へ置き換えた。その遠慮を見て、ぼくはこの人はきちんと悲しんできたのだと思った。悲しみの最中でも、書類にふさわしい言い回しを探せる人は、たいてい長く耐えている。
「返却後、影はどうなるんですか」
書類を受け取りながら、女が訊いた。
規定では「個別の保管・移送過程については回答しない」となっている。だが、その文言を口にすると、相手の悲しみまで不在票のように見えてしまう。
「光の少ないところへ集められます」とぼくは言った。
「それで、少しずつ薄くなります」
「かわいそうですね」
「そうでしょうか」
「だって、残りたくて残ったのかもしれないでしょう」
ぼくは返事に詰まった。
女はそれ以上は何も言わなかった。受領印の朱肉が乾くまで窓口の脇に立ち、その間、視線をずっと自分の足もとに落としていた。帰り際に、ふと顔を上げて訊いた。
「あなたのところには、ありませんか」
「何がです」
「返せない影が」
西日が差しはじめていた。窓口のガラスに、ぼく自身の輪郭が細く映っていた。ぼくは少し考え、「ありません」と答えた。女は、そうですか、とだけ言って帰っていった。
けれど、その日の終業後、西別館の廊下を消灯して回っていたとき、ぼくは倉庫のいちばん奥で、見慣れない影を踏みそうになった。
棚と棚のあいだ、予備の封筒の箱の手前に、背の低い女の影がある。肩幅が狭く、髪を後ろでひとつに束ねた形。首の傾げ方に見覚えがあった。足先がきちんと揃っていて、立っているというより、待っているように見えた。
母だった。
去年、肺炎で死んだ。葬式も、納骨も、役所の手続きも、ぼくは驚くほど滞りなく済ませた。兄は遠方にいて、結局ほとんどをぼくが一人で片づけた。親戚には「しっかりしている」と褒められた。そのたびに、ぼくは少しだけ空っぽになった。
母は生前、ぼくが帰省すると台所の隅に立っていた。何か手伝おうかと言うと、「あんたは座ってなさい」と言った。座ると、麦茶のコップを黙って置いた。たいした会話もなかった。なのに、思い返す母の姿はいつも、台所の隅にある。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。倉庫の薄暗さがちょうどよすぎて、ずっとそこに紛れていたのかもしれない。あるいは、ぼくが見ないことにしていただけなのかもしれない。
翌日、ぼくは始業前に倉庫へ行った。影はまだあった。床に膝をつき、指先で輪郭をなぞると、ひどく冷たい。冷たいというより、温度を引いていく感じだった。これを返却するには、申請者本人の署名がいる。制度上、自分で自分の影を返すことはできない。他者の死亡に伴って残った影を、遺族が返す。それが手続きだった。
つまり、ぼくは窓口職員でありながら、自分の母の影に対しては適法な申請者ではなかった。
馬鹿らしい、とそのとき初めて思った。制度はどこまでも公平に見えて、じつは一番狭いところで人を置いていく。影が残るのは特別なことなのに、その始末だけが事務的すぎる。
昼休み、ぼくは本館の文書庫で古い通達を探した。十年前の運用変更通知の末尾に、小さく追記があった。
「身寄りなき影、または申請困難な影については、保管責任者の判断で仮受領可。」
保管責任者は、いまやぼくだった。前任者が退職してから後任は来ず、窓口は臨時職員のまま固定されていた。
午後の受付が終わるのを待って、ぼくは倉庫へ行き、母の影をそっと持ち上げた。影は驚くほど軽く、封筒に入れると、ほとんど何も入っていないように見えた。けれど宛名欄に「仮受領」と書いた瞬間、胸の奥で何かがようやく書類になる感じがした。悲しみではなく、遅れていた手続きだったのだと、そのとき少しわかった。
閉庁後、県の集積袋に他の影と一緒に入れる前に、ぼくは封筒を一枚だけ机に戻した。
規定違反ではない。仮受領後の保管期間は、担当者判断で七日まで延長できる。ぼくは母の影を机の引き出しにしまい、その夜は久しぶりに、自分の部屋で麦茶を飲んだ。誰も置いてくれないから、自分で冷蔵庫から出した。グラスの底にできた小さな輪を見て、なぜか安心した。
七日後、ぼくは母の影を集積袋へ入れた。特別なことは何もしなかった。手を合わせもしなかった。ただ封をして、送り状の控えに印を押した。窓口の外では、蝉が機械の故障みたいに鳴いていた。
その日の夕方、先日の女がふたたび来た。
「忘れ物を」と言って、小さな紙袋を差し出す。中には缶入りの麦茶飴が入っていた。
「この前、お世話になったので」
受け取れません、と規定どおり言いかけて、ぼくはやめた。袋は軽く、影よりはずっと確かな重さがあった。
「ありがとうございました」と女は言った。
「台所、広くなりました」
「それはよかったです」
「でも、さみしくなりました」
「ええ」
それ以上の言葉はなかった。必要な会話はたぶん終わっていた。女は会釈して帰り、ぼくは窓口のガラス越しに、その背中が夏の光へ混ざっていくのを見ていた。
帰宅すると、部屋の流し台の前に立った。西日が床へ細長く差し込み、そこにはもう、母の形はなかった。ぼくの影だけが、頼りなく伸びている。あまりに普通で、少し可笑しかった。
麦茶を注ぎ、流しに肘をつく。誰かに見られている感じはしない。だからといって、完全に一人になった気もしなかった。別れというのは、何かが消えることではなく、そこにいた形を日常のほうへ静かに移し替えることなのだろう。
窓の外では、まだ明るいのに街灯が一本だけ先に点いた。影ができるには、たぶん、少しの光で足りるのだ。