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短編

打ち捨てられた人形

祖母の遺品整理で見つけた古い人形。その日から、私の部屋にはもう一人の気配が満ち始めた。

Genre
ホラー
Series
単発
#人形#屋根裏#祖母

祖母が亡くなって一月が経ち、私は一人、古びた家の遺品整理に追われていた。埃っぽい空気と、樟脳の匂いが混じり合って鼻をつく。開け放した窓から吹き込む生ぬるい風が、壁にかけられたカレンダーをぱらぱらと虚しくめくっていた。

問題のそれを見つけたのは、屋根裏部屋の隅だった。うず高く積まれた桐の箪笥の影に、それはぽつんと置かれていた。西洋風の、古い人形。レースのついたドレスはところどころ茶色く染まり、陶器の肌には蜘蛛の巣が絡みついている。だが、ガラスでできたその瞳だけが、妙に生々しい光を宿してこちらを見ていた。

何故だか、捨て置くことができなかった。可哀想に、と思ったのかもしれない。私は人形を埃まみれの風呂敷にそっと包み、自分のアパートへ持ち帰った。

ワンルームの部屋に、人形は不釣り合いだった。とりあえず本棚の隅に座らせてみたが、その視線がどうにも落ち着かない。部屋のどこにいても、人形に見られているような気がした。

異変が始まったのは、その三日後の夜だった。

深夜、ふと喉の渇きを覚えて目を覚ますと、部屋の隅で何かが動いた気がした。目を凝らす。本棚に置いたはずの人形が、床に落ちている。その拍子に、小さく「こつん」と乾いた音がした。眠っている間に落ちたのだろう。そう自分に言い聞かせ、人形を拾い上げて元の場所に戻した。ひんやりとした陶器の感触が、やけに手のひらに残った。

次の日、仕事から帰ると、人形はベッドの上に座っていた。私が置いた場所とは違う。背筋がぞっとした。気のせいだ、何かの間違いだと思おうとしても、心臓が嫌な音を立てる。

その夜から、眠るのが怖くなった。部屋の電気をつけたまま、布団を頭まで被って縮こまる。耳を澄ますと、遠くで子供がくすくす笑うような声が聞こえる気がした。気のせいだ。疲れているんだ。

ある朝、頬に奇妙な痛みを感じて目が覚めた。鏡を見ると、左の頬に細く赤い引っ掻き傷が三本、筋を描いていた。眠っている間に自分で引っ掻いたのだろうか。いや、私の爪はいつも短く切っている。

恐怖が限界に達した。もう無理だ。私は人形をゴミ袋に詰め込み、口を固く縛った。マンションのゴミ捨て場にそれを叩きつけるように捨て、逃げるように部屋に戻った。

これで、やっと終わった。

その夜は久しぶりにぐっすり眠れる、はずだった。

真夜中、何かの重みで目が覚めた。金縛りにあったように、体が動かない。ゆっくりと、錆びついたブリキのおもちゃのように首だけを動かす。

私の胸の上に、あの人形が座っていた。

捨てたはずの人形が、そこにいた。逆光で表情はよく見えない。ただ、ガラスの瞳だけが、暗闇の中でぬらりとした光を放っている。

やがて、その小さな陶器の腕が、ゆっくりと持ち上がり、私の頬に伸びてくる。ひんやりとした、硬い指先が、私の肌に触れた。

翌日、連絡が取れないことを心配した同僚が、私の部屋を訪れた。何度呼び鈴を鳴らしても応答はない。大家に頼んで鍵を開けてもらうと、部屋はもぬけの殻だった。ただ、開け放たれた窓辺に、古い西洋人形が一つ。外の景色を眺めるように、ちょこんと座っていた。

その人形の白い頬に、昨日まではなかったはずの、真新しい赤い傷が一本、ついていた。