短編
静かなる聴取者
新しいスマートスピーカーが、電源がオフにもかかわらず奇妙な音を立て始め、持ち主の女性を恐怖に陥れる。
「ねえ、スピカ。今日の天気は?」
真新しいスマートスピーカーに話しかけると、合成音声が滑らかに答える。「今日の東京は晴れ、最高気温は28度です」その無機質な声が、西川由美の孤独な朝に少しだけ彩りを添えてくれた。
由美が『スピカ』と名付けたそのデバイスを家に迎えてから一週間。最初は物珍しさだけだったが、音楽を流し、ニュースを読み上げ、タイマーをセットするスピカは、一人暮らしの頼れる同居人のようになりつつあった。
異変が起きたのは、その二週間後の夜だった。
ベッドで読書をしていた由美の耳に、微かな音が届いた。スピカから流れる、知らないメロディ。自分でかけた覚えはない。オルゴールのような、どこか物悲しい旋律だった。
「スピカ、音楽を止めて」
ぴたりと音は止んだ。気のせいか、あるいは何かの誤作動だろう。由美はそう結論付けた。
しかし、その日から奇妙な現象が続くようになる。
深夜、ふと目を覚ますと、スピカから囁き声が聞こえる。言葉にはならない、シューッというノイズ混じりの音。スマートフォンで履歴を確認しても、何の操作記録も残っていない。
ある時は、ポツ、ポツ、と水滴が落ちる音。慌ててキッチンや洗面所を確認しても、蛇口は固く締まっている。音は明らかに、部屋の隅に置かれたスピーカーから発せられていた。
恐怖が確信に変わったのは、電源プラグを抜いた後だった。
「もう、気味が悪いわ」
由美はスピカのACアダプターをコンセントから引き抜いた。これでただの置物だ。しかし、その夜。由美は再びあの音で目を覚ました。囁き声だ。音源は、電源が切れているはずのスピカだった。
恐る恐るそれに近づくと、黒いプラスチックの塊から、確かに音が漏れ聞こえてくる。ありえない。バッテリーも内蔵していないモデルだ。由美はスピカを掴むと、クローゼットの奥にしまい込み、衣類を何枚も重ねてその上に置いた。
これで静かになるはずだった。
数日間は何事もなかった。だが、週末の夜、クローゼットの扉の隙間から、くぐもった声が聞こえてきた。それは今までのような曖昧な音ではなかった。はっきりと、冷たい声で、こう言った。
「ユミ」
自分の名前を呼ばれ、由美は凍りついた。心臓が氷の塊になったように冷たくなる。声は続いた。
「次は、キミの番」
翌朝、由美は半狂乱でスピカをゴミ袋に叩き込み、固く縛ると、家からずっと離れたゴミ収集所へそれを捨てた。
それから一週間、部屋には完全な静寂が戻った。悪夢は終わったのだと由美は自分に言い聞かせ、少しずつ日常を取り戻していった。
その日の夕方。キッチンで夕食の準備をしていると、どこからか、あの囁き声が聞こえた。耳を澄ます。シンクの、暗い排水溝の奥からだ。
「聞こえる?」
電子的に歪んだ、あの声だった。由美は動けなかった。ただ、暗闇が広がるその穴を、見つめることしかできなかった。