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短編

送られなかったメッセージ

送信した覚えのないメッセージが、彼の日常を静かに侵食していく。

Genre
ホラー
Series
単発
#アプリ#大学生#失踪

洋祐が「ECHO」という名のそのメッセージアプリを見つけたのは、深夜のネットサーフィンでのことだった。アイコンも説明文も簡素で、App Storeのレビューも数件しかない。だが、なぜか妙に惹きつけられ、ダウンロードボタンを押していた。

アプリを起動すると、見慣れたメッセージアプリと何ら変わらないインターフェースが表示された。友人リストはスマホの連絡先と同期されているらしい。物珍しさから、数人の友人に当たり障りのないメッセージを送ってみる。すぐに既読がつき、いつもと変わらない返信が来た。

「なんだ、普通のアプリか」

拍子抜けしてアプリを閉じようとした、その時だった。画面の隅に「下書き」というフォルダがあることに気づいた。タップすると、そこには一件のメッセージが保存されていた。

『ごめん、今日の飲み会、サークルの先輩がしつこくて最悪だった。』

それは、昨晩恋人の美咲に送ろうとして、寸前でやめたメッセージそのものだった。言葉遣いも、句読点の位置まで全く同じだ。背筋がぞくりとした。どうしてこのアプリが、俺が送らなかったメッセージを知っている?

翌日、大学の講義中に、スマートフォンの微かな振動がポケットに伝わった。ECHOからの通知だ。こっそり画面を確認すると、下書きフォルダに新しいメッセージが追加されている。

『教授の話、マジで退屈すぎ。早く終わんないかな。』

確かに、そう思っていた。声に出さず、誰にも言わず、ただ頭の中でぼんやりと考えただけのことだ。それが、一字一句違わぬ文章となって記録されている。恐怖がじわじわと胸の内に広がっていく。このアプリは、俺の思考を読んでいるのか?

その日から、洋祐の日常は静かに侵食され始めた。友人への些細な嫉妬、家族への不満、すれ違った見知らぬ人への悪意。口に出すことすらはばかられるような黒い感情が、ECHOの下書きフォルダに次々とアーカイブされていく。まるで、自分の心の暗部を覗き見るための鏡のようだった。

消去しようとしても、アプリはアンインストールできない。データを削除しようとすれば、スマートフォンがフリーズする。洋祐は為す術もなく、増え続ける「送られなかったメッセージ」を眺めることしかできなかった。

ある雨の夜、洋祐は些細なことから美咲と口論になった。売り言葉に買い言葉、感情的になった洋祐の頭に、最悪の言葉が浮かんだ。

『もうお前の顔なんて見たくない。消えてくれ』

はっとして、洋祐はポケットのスマートフォンに手を伸ばした。震える指でECHOを起動する。案の定、下書きフォルダに、今しがた頭に浮かんだばかりの罵詈雑言が、美咲宛てのメッセージとして生成されていた。送信ボタンが、まるで心臓のように、ゆっくりと、しかし確かに明滅している。

洋祐は悲鳴を上げてスマートフォンを壁に投げつけた。鈍い音と共に画面が割れ、暗転する。

翌朝、警察から電話があった。美咲が昨夜から行方不明なのだという。洋祐は呆然としながら、床に転がっていたスマートフォンを拾い上げた。奇跡的に電源は入る。画面は蜘蛛の巣状に割れているが、操作は可能だった。

恐る恐るECHOを開く。美咲に宛てた下書きメッセージは、跡形もなく消えていた。代わりに、「送信済み」フォルダに、一件の新しい履歴がある。

『もうお前の顔なんて見たくない。消えてくれ』

そして、そのメッセージの下に、見慣れないアカウントからの新着通知が一件、赤く灯っていた。差出人は「UNKNOWN」。メッセージを開くと、そこにはただ一言、こう書かれていた。

『受信しました』