短編
返事のない呼び鈴
亡き母の部屋を片づけに来た男は、誰もいないはずの隣室から毎晩鳴るインターホンに応答してしまう。
母が死んでから三か月後、私はようやく団地へ戻った。
昭和の終わりに建てられた十一階建ての建物は、取り壊しが決まっていた。住民のほとんどはもう転居し、長い廊下には郵便受けの口だけがずらりと並び、どれも空腹そうに開いていた。エレベーターは止まっていたので、私は母のいた七階まで階段で上がった。踊り場ごとに白い塗装が剥がれ、そこだけ骨が見えているようだった。
七〇三号室。鍵はまだ古いままの銀色で、差し込むと少しひっかかった。
部屋には、死があったというより、生活だけが途中でやめられていた。急須、畳んだエプロン、輪ゴムで束ねたレシート、読みかけの文庫本。母は几帳面な人だったから、荒れているわけではない。ただ、どこもかしこも静かすぎた。冷蔵庫のコンセントは抜かれ、時計は止まり、窓の外の風だけがカーテンの裾をほんの少し揺らしていた。
管理会社からは日没までに作業を終えるよう言われていた。照明の一部がもう使えず、夜になると不審者が入ることもあるらしい。けれど私は、持ってきた段ボールを広げて食器を包み、押し入れの衣類を分けているうちに、時刻を忘れた。
午後六時きっかりに、部屋の奥で音がした。
ピンポーン。
古い、間のびしたインターホンの音だった。玄関脇の受話器のランプが、弱々しく赤く点いている。
私はしばらく意味がわからなかった。この団地の各戸は、玄関子機ではなく室内の親機でつながっている。来客があれば一階のエントランスから鳴るはずだが、エントランスは封鎖済みだ。そもそもこの棟に、いま人はほとんどいない。
もう一度、ピンポーン。
私は玄関に立ち、覗き穴から廊下を見た。薄暗い蛍光灯の下に、誰もいない。隣の七〇二号室も七〇四号室も、表札は外され、ドアに「退去確認済」の紙が貼られている。
音は止んだ。
故障だろうと思った。古い設備にはよくあることだ。けれど、そのとき不意に母の口癖を思い出した。
この部屋のインターホン、変なのよ。誰もいないのにたまに鳴るの。出るとね、向こうも黙ってるの。
笑い話みたいに言っていた。私が学生のころ、一度だけ電話越しに聞いたことがある。そんなの壊れてるんだよ、と私は答えた。母は「そうかしらねえ」と言って、すぐ別の話をした。
あのとき、母が少し寂しそうだったことを、今さら思い出した。
作業を再開すると、六時十二分にまた鳴った。
今度は受話器を取った。
「はい」
ザーッ、という遠い砂嵐のような音の向こうで、何かが擦れる気配がした。テープレコーダーの再生ボタンを半分だけ押したような、不安定な雑音だった。
「どちらさまですか」
返事はなかった。
けれど切ろうとしたとき、小さな息継ぎが聞こえた。子どもとも老人ともつかない、軽い、乾いた呼吸だった。
私は受話器を置いた。
その夜はそこで帰った。階段を下りながら、七階から下のどこかでドアが閉まる音を聞いた気がしたが、振り返らなかった。
翌日も団地へ行った。遺品整理は一日では終わらない。午前中はなんでもなかった。昼過ぎ、押し入れの天袋から古いカセットテープの箱が出てきた。油性ペンで日付と短いメモが書いてある。
「平成十四年六月 雨」
「深夜二時 また鳴った」
「録音してみる」
その中の一本を、母のラジカセに入れた。再生すると、最初は生活音ばかりだった。茶碗の触れ合う音、テレビの時代劇、母の咳。やがて、あのインターホンが鳴る。ピンポーン。ガチャ、と受話器を取る音。
『はい』
母の声は今よりずっと若い。
ザーッ。
『……誰?』
しばらく雑音が続き、それから、かすかな声が入った。
『おかあさん』
私は停止ボタンを押した。指が勝手に動いた。
部屋のどこかで、水滴が落ちたような音がした。もちろん、この部屋に水は通っていない。
私は母のアルバムを見たことがない。父は早くに死に、私は一人息子だと聞かされて育った。それを疑ったことはなかった。疑う必要がないほど、家の中には余白がなかった。母は働き、私を育て、私は進学して家を出た。それだけだった。
六時きっかりに、また鳴った。
今度はすぐ受話器を取った。逃げるのが嫌だった。母が何十回もこれを聞いていたのなら、私だけ知らないまま終わるのは卑怯な気がした。
「はい」
雑音。長い、湿った沈黙。
それから、女の声がした。若いとも老いたともつかない、薄い声だった。
『まだ、いるの』
私は喉が狭くなるのを感じた。「誰ですか」と聞こうとして、うまく言えなかった。
『わたし、ずっと押してたのに』
受話器の向こうで、かすかに笑うような、泣くような気配がした。
『おかあさん、いつも出るだけだった』
そこで初めて、私は廊下の気配に気づいた。ドアの向こうに、誰かが立っている。覗いていなくてもわかるほど、静かに、近く。
ノックはなかった。ただ、ドアの郵便受けが、内側から触られたみたいにかたん、と鳴った。
『ねえ』
女の声は、インターホンの向こうからではなく、受話器の丸い穴そのものから滲み出るように聞こえた。
『開けて』
私は受話器を持ったまま、玄関を見た。チェーンのかかったドア。下の隙間は暗い。人の足は見えない。それでも、誰かがそこにいることだけは確かだった。立って、待って、こちらが気づくのを待っている。
そのとき、部屋の隅に積んでいた書類の束が風もないのに崩れ、一枚の紙が畳の上を滑ってきた。母の字だった。買い物メモの裏に、乱れた文字で一行だけ書いてある。
「返事をすると、来る」
私はようやく理解した。母は怖がっていたのではない。あれを一人で、ずっと玄関の外に立たせていたのだ。出てしまった日も、きっとあったのだろう。それでも開けなかった。だから母はここを離れず、インターホンの故障みたいな顔をして、毎日、毎年、応答だけを続けた。
『ねえ』
ドアの向こうで、今度ははっきり声がした。受話器の中と同じ声。
『今日は、あなたなんでしょう』
郵便受けがゆっくり持ち上がった。黒い隙間が開き、その向こうに、何も見えない暗さがあった。だが、見えないまま、そこに目だけがある気がした。じっと室内を見て、私を数えている。
私は受話器を置かなかった。置けば切れるような気がしたからだ。だが耳に当てたままだと、向こうの呼吸が近すぎた。湿った壁のすぐ内側で、誰かが眠らずにいるような呼吸だった。
『おかあさんじゃないのね』
声は少しだけ残念そうで、少しだけ明るかった。
『じゃあ、今度は間違えない』
玄関のドアが、外からではなく、内側へ向かって一度だけ軽く鳴った。開けようとしたのではない。どこに蝶番があるのか、どこに鍵があるのかを確かめるような、小さな合図だった。
私はそのまま、朝まで玄関の前に座っていた。受話器はいつの間にか無音になり、郵便受けは閉じていた。六時を過ぎるころ、窓の外が白み始め、廊下で新聞受けの蓋が風に鳴った。普通の朝の音だった。
それから私は管理会社に連絡し、鍵を返し、母の遺品整理を中断した。必要なものだけ引き取り、残りは処分を依頼した。担当者は、「あの棟は来月解体ですから」と事務的に言った。
来月になっても、私は七〇三号室の夢は見ない。夢オチのようにやさしく忘れさせてもらえない。代わりに、夜の六時十二分になると、私の住むアパートの壁のどこかで、古い団地のインターホンが鳴る。
ピンポーン。
最初は空耳だと思った。けれど昨日、玄関の郵便受けに、見覚えのない紙片が挟まっていた。買い物メモの切れ端に、母の字ではない、細い鉛筆の文字でこう書いてあった。
「次は、ちゃんと開けて」
私はその紙を捨てた。鍵も増やした。チェーンも新しくした。それでも今夜、ドアの向こうには、返事を覚えたものが立っている気がする。
鳴るたびに、母が何年それを引き止めていたのかを思う。
そして受話器のない部屋で、それでも私は息をひそめてしまう。返事をしなければ来ないのか、それとももう遅いのか、その違いだけが、まだわからない。