短編
言いそびれ保管室
駅の地下にある奇妙な窓口で、男は人が言いそびれた言葉を預かりながら、自分自身の胸につかえていた一言と向き合う。
その窓口は、駅の案内板にも職員名簿にも載っていなかった。
東口と西口をつなぐ古い地下通路の途中、コインロッカーの裏に、半分だけ明かりのついた細い通路がある。そこを曲がると、小さなガラス窓と木の札が見える。札には、黒い筆文字でこう書かれている。
「言いそびれ保管室」
私の仕事は、そこで人の言いそびれた言葉を預かることだった。
財布や傘や定期券ではない。そういうものは地上の忘れ物係へ行く。ここに来るのは、「ありがとう」と言うつもりだったのに電話が切れてしまった人や、「ごめん」と言えぬまま葬式を終えた人や、「好きです」と言う寸前で電車の扉に閉じられた人たちだ。
言葉は目に見えないままでは扱いにくいので、保管室では仮の形を与える。
「またね」は、たいてい薄い青色のガラス玉になる。
「気をつけて」は、少し温かい白い石になる。
「会いたかった」は、折り目のついた紙片みたいに軽い。
重いのはたいてい、「ごめん」だ。
私はそれらを受け取り、棚に並べ、必要があれば取り出し方を案内する。勤めて七年になるが、この仕事に応募したときの記憶は曖昧だ。気づけば面接が済んでいて、課長から「あなたは黙って待つのに向いている」と言われたことだけ覚えている。
たしかに私は、黙って待つことだけは得意だった。
ある雨の夕方、一人の老婦人がやって来た。濡れた灰色のコートを着て、杖の先からしずくを落としていた。窓口の前に立つまでに、三歩ごとに呼吸を整えるような人だった。
「ここは、まだ預かってくれますか」
「はい。閉室までは二十分あります」
老婦人は安心したように小さくうなずき、それからバッグの口を両手で押さえた。
「四十年前のものでも」
私は規則集を思い出すふりをしたが、そんな規則はない。時間の古さで言葉の価値は変わらない。むしろ、長く言えなかった言葉ほど、よく熟れて形がはっきりする。
「大丈夫です。出してみましょうか」
老婦人はバッグから、何も持っていない手をそっと差し出した。皺の細い指先が震えていた。その掌の上で、しばらくしてから、透明な飴のようなものが現れた。雨粒より少し大きい。中にごく小さな夕焼けが閉じ込められている。
私は見覚えのない形に、帳簿を引き寄せた。
「どういう言葉でしょう」
「いってらっしゃい、です」
老婦人は言った。
「夫に。あの日、言えなかったの」
話を聞くと、四十年前の朝、夫はいつも通り家を出た。老婦人――そのときはまだ若い妻だったのだろう――は台所で味噌汁をこぼし、慌てて布巾を探していた。夫が玄関で「行ってくるよ」と言ったのは聞こえた。返事をしようと思った。けれど口にするより先にドアが閉まり、その日の午後、夫は事故で帰らなかった。
「たいした言葉じゃないでしょう」
老婦人は笑った。笑うたびに、その言葉の粒が少しだけ曇った。
「でもね、あれから毎朝、仏壇に向かって言っても、どうしても間に合った気がしないんです。言葉には、行き先があるんでしょうね」
私はうなずいた。ここではよく知られたことだった。言葉は、正しい人に、正しい順番で届かなければ、胸のどこかに居残る。
「お預かりもできますし、取り出しのお手伝いもできます」
「取り出す?」
「ええ。届かなかった言葉を、別のかたちで届ける方法です。ただし、まったく同じ朝には戻せません」
老婦人は黙った。地下通路を走る電車の振動で、窓の隅の埃がかすかに揺れた。
「同じ朝じゃなくていいの」と老婦人は言った。「あの人が受け取ったとわかれば」
私は保管室の奥から、小さな金属盆を持ってきた。その上に透明な粒を置く。粒は静かに震え、やがて柔らかな湯気のようなものを立て始めた。取り出しには、受け取る側の痕跡が要る。写真、手紙、癖、声の調子、残された習慣。老婦人はバッグから古い定期入れを出した。中には、角の丸くなった証明写真が入っていた。若い男が、少し照れたような顔で写っている。
「この人は、出かけるとき、振り向く人でしたか」
「ええ。いつも一度だけ」
「では、届きます」
そう言って私は、盆の上に駅の時刻表の切れ端を一枚置いた。保管室では紙がよく効く。印刷された時間は、人の暮らしのかたちに近いからだ。粒はゆっくり溶け、夕焼け色の細い線になって写真へ吸い込まれた。
次の瞬間、老婦人の目が少しだけ見開いた。窓口のこちらには何も聞こえなかったが、向こう側で確かに何かが返された顔だった。
「今、振り向いたわ」
彼女は呟いた。
「玄関で、ちゃんと」
それだけ言うと、老婦人はしばらく泣かなかった。ただ写真を見つめ、ひどく遠い場所から戻ってきた人みたいに静かに呼吸した。それから杖を持ち直し、私に頭を下げた。
「ありがとう。これで明日から、朝が一つ減ります」
「減る、ですか」
「ええ。ずっと同じ朝を四十年ぶん繰り返していたから」
老婦人が帰ったあと、私は帳簿に記録をつけた。案件番号、品目、処理方法、返還の有無。最後に備考欄へ、「朝の反復、解消」と書いたところで、ペンが止まった。
私にも、保管している言葉が一つあった。
規則では職員が私物を棚に置いてはいけないことになっている。だからそれは、胸ポケットの裏地のさらに内側、誰にも見つからない場所に挟んである。
娘に言えなかった「すまない」だった。
三年前、娘は家を出た。大学進学を機に東京を離れ、そのあと就職して、さらに遠くへ行った。原因ははっきりしている。妻が亡くれたあと、私は悲しみを仕事に変えるのに必死で、娘の悲しみを急かした。
「いつまでも立ち止まるな」
「生活は続く」
「お母さんが困る」
正しい顔をした言葉ばかり並べて、本当に必要だった一言を言わなかった。つらかったな、と。先に一人にして悪かったな、と。父さんも怖いんだ、と。
その代わりに胸に残った「すまない」は、錆びた鍵みたいに重く、たまに寝返りの拍子に肋骨の内側を引っかいた。
私は窓口の時計を見た。閉室まで五分。地下通路の人の流れも細くなっている。
保管室の規則では、自分の案件を自分で処理してはいけない。けれど、規則には、閉室後のことまでは細かく書かれていない。
私は胸ポケットの裏から、その鍵を取り出した。鈍い銀色をして、触ると少し冷たい。金属盆に載せると、控えめな音がした。受け取り手の痕跡なら、携帯電話の中にいくらでもある。写真も、短いメッセージも、去年送られてきた誕生日のスタンプ一つまで、私は消さずに残していた。
画面を開く。娘の名前は、まだ「美緒」のままだ。親らしい飾りのない、呼び捨てのまま。
私は連絡先の画面を開いて、閉じて、また開いた。保管室の薄い蛍光灯の下で、鍵はいつまでも鍵のかたちをしていた。老婦人のように奇跡的に溶けてくれればよかったが、私の「すまない」は頑固らしい。
考えてみれば当然だった。これは預かり物ではなく、まだ差し出していない現物だ。処理のしようがない。
私は笑ってしまった。七年も働いて、そんなこともわからなかったのか、と。
閉室の札を出し、電気を一つ消してから、私は娘に短いメッセージを打った。
「急に送って悪い。あのとき、おまえのつらさを急がせた。すまなかった」
打ち終えて、しばらく送信できなかった。地下を通る終電前の風が、どこかの隙間から細く鳴った。老婦人の言うとおり、言葉には行き先がある。行かせるのは、案外、こちらの仕事なのだ。
送信のボタンを押す。
それだけで胸の奥が少し静かになった。鍵は盆の上で、いつのまにかただの古い針金みたいに軽くなっていた。
返信が来たのは、保管室のシャッターを半分降ろしたあとだった。
「うん。知ってた。私も、ごめん。今度帰る」
たった二行で、地下通路の空気が変わることがある。私は携帯を閉じ、誰もいない窓口に向かって軽く頭を下げた。どこへ下げたのか自分でもよくわからなかったが、たぶん言葉の行き先というのは、そういう曖昧な場所にも宿るのだろう。
外へ出ると、雨はほとんど上がっていた。通路の階段の上に、濡れた夜の街が見える。誰かが改札の向こうで、少し大きな声で「いってらっしゃい」と言った。見なくても、振り向いた人の気配がわかった。
私はその声を預からずに済むことを、少しうれしく思った。