短編
真夜中の壁越しの返事
古い団地に越した女は、薄い壁の向こうから届く丁寧すぎる返事に、部屋そのものが自分の言葉を覚えていることを知る。
引っ越し先を決めるとき、私は壁の薄さを気にしなかった。
駅から遠く、築四十年を超えた五階建ての団地。エレベーターはなく、踊り場の手すりは雨に濡れるたび鉄の匂いを立てた。それでも家賃は安かったし、南向きで、窓からは古びた公園の欅が見えた。会社を辞めたばかりで、貯金を食いつぶしながら次を探していた私にとって、そこは「しばらく沈むための場所」として都合がよかった。
隣の部屋には、誰かが住んでいるらしかった。
らしかった、というのは、姿を見ないからだ。郵便受けには名前がなく、夜になるとたまに、物が擦れるような音が壁越しに聞こえる。テレビの音や話し声はしなかった。ただ、人がいるときの、部屋の空気の圧だけがあった。
最初の一週間、私はひどく静かに暮らした。床を鳴らさないよう歩き、洗濯機を回す時間を気にし、夜はイヤホンで動画を見た。前の職場で心を壊してから、何かを「うるさい」と思われることが異様に怖くなっていた。
だから、最初の返事を聞いたときも、自分の勘違いだと思った。
その夜、私は台所でひとり、冷えた味噌汁を温めながら、小さく独り言をこぼした。
「塩、入れすぎたな」
すると、すぐ隣の壁の向こうから、やわらかい女の声がした。
「少しお湯を足せば、まろやかになりますよ」
思わず、コンロの火を止めた。
声は、ひどく自然だった。独り言に対して、会話の間合いで返されたような声だった。年齢のわからない、落ち着いた声。耳を澄ますと、それきり何も聞こえない。
私はしばらく立ち尽くしたあと、壁に向かって言った。
「……すみません、うるさかったですか」
返事はない。
翌朝、出勤でも通学でもない時間に玄関を出て、隣のドアを見た。新聞受けには何も挟まっていない。インターホンは古く黄ばんでいて、押すのをためらわせた。結局そのまま階段を下りたが、二階まで来たところで、上の踊り場に誰かの足音がした。振り向くと、誰もいなかった。
その日から、壁の向こうはたまに返事をするようになった。
「今日は雨か」
「洗濯物は部屋に入れたほうがいいですよ」
「この書類、どこにやったっけ」
「白い封筒の下です」
「眠れないな」
「温かい飲み物が少しだけ助けになります」
すべて、私が独り言を言った直後だった。抑揚は穏やかで、親切で、決して踏み込みすぎない。まるで長く一人暮らしをしている人が、壁一枚隔てた相手の生活にだけ器用に寄り添っているみたいだった。
奇妙なのは、返事の内容が、いつも正しいことだった。
白い封筒の下にあるはずの書類は、本当にそこにあった。雨の日に部屋干しした洗濯物はぎりぎりで助かった。眠れない夜に言われた通り、白湯を飲むと少しだけ息が整った。
私は次第に、その声を待つようになった。
人と話すのが億劫になって久しかった。友人の連絡にも返事をしなくなり、母からの着信も折り返さないことが増えた。そんな私にとって、壁の向こうの「誰か」は、会わずに済む相手としてあまりに都合がよかった。顔も知らないから失望されない。こちらを見ないから、うまく笑う必要もない。
夜、布団に入る前、私は壁際に座って小さく話しかけるようになった。
「今日、ハローワークに行けなかった」
「明日行けばいいですよ」
「親に心配かけてる」
「心配してくれる人がいるのは、まだ良いことです」
「でも、もう何をどうしたらいいかわからない」
「わからないまま眠る日があっても、人は消えません」
その返事を聞くと、不思議に泣きたくなった。
母に似ている、と思ったのは三週間目だった。
言葉遣いではない。もっと曖昧な、話の終わらせ方の癖だった。断言せず、相手の逃げ道を残してくれるところ。慰めるのではなく、すこしだけ明日に押し出すところ。
母は生きている。電車で二時間の町に、父と二人で暮らしている。健康だし、先月も新米を送ってきた。似ていると思うこと自体が失礼だ、と私は考えないようにした。
けれど、その夜。
私は壁に向かって、つい口を滑らせた。
「お母さんみたいですね」
長い沈黙があった。
この部屋に越してきて初めて、返事が遅れた。私は言ってはいけないことを言った気がして、慌てて「すみません」と付け足した。すると、壁の向こうで何か硬いものがひっくり返る音がした。次いで、押し殺したような息遣い。
それから、低く、少しかすれた声が言った。
「あなたのお母さんは、まだ電話に出ますか」
背中が冷えた。
質問されたのは初めてだった。
「……出ますよ」
「よかった」
それだけだった。
翌日、私は母に電話した。呼び出し音が四回鳴って、母は出た。少し息が上がっていて、買い物帰りだと言った。私はどうでもいい近況を話し、味噌汁に塩を入れすぎた話をした。母は笑って、お湯を足せばいいじゃない、と言った。
電話を切ったあと、胃の奥がぬるく重くなった。
その晩、壁の向こうは静かだった。私は何度も耳を押し当てたが、何も聞こえない。代わりに、廊下の端から、誰かが爪で壁紙をひっかくような細い音が長く続いた。
眠れずにいるうち、午前二時を過ぎたころ、スマートフォンが震えた。知らない番号からの着信だった。出ると、無音の奥に、ざらついた呼吸だけがあった。
「もしもし」
返事はない。
「どちらさまですか」
しばらくして、耳元で、あの声がした。
『あなたのお母さんは、まだ出ましたね』
私は悲鳴を押し殺して通話を切った。すぐ母にかけ直したが、つながらない。何度かけても留守番電話に変わる。胸が狭くなり、私は衝動のまま玄関を飛び出して、隣の部屋のインターホンを押した。
鳴らない。
壊れているのかと思って、ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
開いた部屋の中は、暗く、空っぽだった。
家具はひとつもない。畳も剥がされ、床板がむき出しになっている。埃が薄く積もっているだけで、最近誰かが暮らした気配はなかった。なのに、部屋の中央にだけ、古い留守番電話機がぽつんと置かれていた。コンセントはつながっていない。
赤いランプだけが点滅していた。
私は近づいて、再生ボタンを押した。
最初に聞こえたのは、私の声だった。
『塩、入れすぎたな』
続いて、あの声。
『少しお湯を足せば、まろやかになりますよ』
次も、その次も、その次も、全部だった。壁越しに交わしたはずの会話が、一字一句違わず録音されている。私の独り言も、相手の返事も。日付は読み上げられない。ただ、再生される順番だけが新しいものへ近づいていく。
『お母さんみたいですね』
沈黙。
『あなたのお母さんは、まだ電話に出ますか』
私はそこで再生を止めた。
留守番電話機の横に、薄い紙切れが一枚落ちていた。団地の管理会社の連絡票だった。部屋番号と、簡単なメモがある。
「四〇二号室、空室確認済み。前入居者死亡のため」
日付は、三年前だった。
下に手書きで、小さく追記があった。
「夜間、壁越しの会話が聞こえると苦情。再現せず」
帰ろうと振り向いたとき、背後で、留守番電話機が勝手に再生を始めた。
『でも、もう何をどうしたらいいかわからない』
私の声。
あの声が、いつもの穏やかさで答える。
『わからないまま眠る日があっても、人は消えません』
それから、録音されていないはずの続きが聞こえた。
『けれど、呼ばれ続けると、帰れなくなる人もいます』
首筋に息がかかった。
私は走って自分の部屋に戻り、鍵を閉め、チェーンをかけた。壁から離れたところで膝を抱え、朝まで母に電話をかけ続けた。午前四時を過ぎたころ、ようやく母が出た。寝ぼけた声で、どうしたの、と言う。私は泣きながら、なんでもない、声が聞きたかっただけ、と答えた。
母は少し黙ってから、やさしく言った。
「そういうときは、壁じゃなくて、ちゃんと人に電話しなさい」
その通りだと思った。
夜が明けると、私はすぐ管理会社に連絡し、事情は伏せて退去の相談をした。担当者は妙に慣れた口調で、早めがいいですね、と言った。荷造りはその日のうちに始めた。隣の四〇二号室のドアは、夕方には新しい南京錠で閉じられていた。
もう返事は聞こえない。
けれど、今でもときどき、疲れて独り言をこぼした瞬間、喉の奥がひやりとする。
答えてほしい、と思うことがあるからだ。
そのたび私はスマートフォンを手に取って、誰か一人に連絡を入れる。母でも、昔の友人でも、相談窓口でもいい。呼びかける先は、息をしている相手でなければならない。
古い団地の薄い壁は、こちらの声をよく通す。
そしてたぶん、声だけを聞いているものにとって、人間の孤独は、名前より先に覚えやすい。