短編
割れた器
家族の食卓に現れた“ひと組だけ違う皿”が、日常をじわりと壊していく。
ある日、母が新しい食器を買ってきた。
「特売だったの。五枚組で千円。安いでしょ?」
それは、薄い藍色の花模様が入った中皿だった。
家族は四人。だけど、皿は五枚。
余った一枚は、食器棚の奥にしまわれた。
最初は、何の変哲もない皿だった。
けれど、三日後の朝、父が言った。
「この皿、昨日ヒビが入ってたはずなんだけどな」
母は不思議そうに首をかしげる。
「え? 割れてたのは、別の皿じゃない? ほら、昨日は大丈夫だったよ」
だが、その日の夜、母が使った皿に小さな欠けができていた。
翌朝には元に戻っていた。
次の日、妹がその皿を使った。
夕食後、彼女は「歯が痛い」と言って、うずくまった。
病院に行っても、異常はなかった。
そしてまた翌朝には、皿の縁がわずかに欠けていた。
「……これ、最初から割れてたんじゃないの?」
僕がそう言うと、母は「気のせいよ」と笑った。
でも、誰もその皿を使いたがらなくなった。
すると、ある夜、食卓に“見知らぬ皿”が置かれていた。
五人分。
「……誰の分?」
母は、皿を見つめたまま黙っていた。
その夜、父が熱を出した。
翌朝には治っていたが、何かを忘れているようだった。
「今日、会社は?」
「……え? 俺、どこに勤めてたっけ」
財布の中には社員証も名刺もなかった。
いつの間にか、家の中の写真からも、父の姿が薄くなっていた。
代わりに、食器棚の一番上に“新しい一枚”が増えていた。
藍色の皿。割れも傷もない、まっさらな一枚。
妹は最近、誰かと話している。
夜中、部屋の隅に向かって、小さな声で。
「……順番、もうすぐなんでしょ?」
母は台所に立ったまま、ひたすら皿を磨いている。
「割れた皿は、かわいそうなのよ。ちゃんと誰かが使ってあげないと」
今日の夕食、皿は五枚。
でも家族は、もう三人しかいない。
父の席は空いたまま。誰もその理由を口にしない。
食器棚の中、あの五枚組の皿は、今では七枚になっていた。
そして今夜、僕の前に置かれたのは――
かすかに、ヒビの入った一枚。