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短編

忘れた部屋

住んでいたはずの部屋が、誰にも存在を信じてもらえなかった。

Genre
ホラー
Series
単発
#マンション#隠し部屋#記憶

高橋加奈は、三年前まであるマンションの304号室に住んでいた。都内でもそこそこ便利な立地にあり、古さはあったが、広さの割に家賃が安く、気に入っていた。

ある日、久しぶりにそのマンションの近くを通りかかり、懐かしさから立ち寄ってみた。新しい住人に迷惑をかけないよう、ただ外観を見るだけのつもりだった。

だが、何かがおかしかった。

エントランスの郵便受けに「304号室」がなかったのだ。

201、202、……303、305。間違いなく304だけが抜けていた。

不審に思った加奈は、管理会社に連絡をとってみた。自分が三年前まで304号室に住んでいたこと、契約書も残っていることを話すと、電話口の女性はしばらく沈黙した後、こう答えた。

「申し訳ありませんが……そのマンションに304号室は存在しません。もともと、4階建てのうち、3階には三部屋しかございませんので」

そんなはずはなかった。加奈の部屋には窓から見える電柱、向かいのコンビニ、すべてが鮮明に記憶に残っている。

混乱した加奈は、意を決してマンションへと足を踏み入れた。かつて暮らした階段を登る。三階。記憶通りの踊り場。そして、かつての304号室があったはずの壁には、ただの白いコンクリートが広がっていた。

扉の痕跡もない。ただ、壁の一部がわずかに他より古びているように見えた。

加奈は指先でその部分を撫でてみた。すると、不意に重く低い音が響いた。

ぐぐ……という音とともに、壁が、少しだけ、内側に沈んだ。

驚いて後ずさると、沈んだ部分から細い隙間ができていた。暗く、埃の匂いがする。

恐怖よりも好奇心が勝った加奈は、スマホのライトを照らしてその隙間に足を踏み入れた。

そこには、確かにあの部屋があった。

同じ間取り、同じ壁紙、同じフローリング。三年前と何も変わっていなかった。いや、違う。部屋の中央に、誰かがいた。

背を向けた女性が、床に座り込んでいた。長い髪。白いワンピース。

加奈の鼓動が一気に跳ね上がる。

「……誰?」

声が震える。しかし女性は動かない。

恐る恐る近づいていくと、その女がぽつりと呟いた。

「ここに、ずっといたの」

女がゆっくりと振り返る。その顔は、加奈自身だった。

次の瞬間、部屋の電気がぱちんと点いた。

そして、扉が閉まる音がした。

加奈が振り返ると、そこには壁があった。

扉は、どこにもなかった。