短編
夜の階段
夜の学校に忍び込んだ生徒が体験した、七不思議のひとつ「逆さ階段」の怪異。
「なあ、聞いたことある? 旧校舎の七不思議のやつ」
放課後、誰もいなくなった教室で、健太が声を潜めて言った。照明の切れかけた蛍光灯が、ピチッ、ピチッと不規則に鳴っている。
「どれ? トイレの花子さんとか?」
「違う違う。『逆さ階段』ってやつだよ。夜の十時に旧校舎の階段を上ると、下に行くはずが上に行っちゃうってやつ」
「は?」と呆れたように笑いながらも、翔太の背筋にじんわりと冷たいものが這い上がった。
「今日、行ってみね? スマホで撮影してさ、TikTokに上げたらバズるかも」
結局、断りきれずに翔太は参加することになった。健太の他に、美月と遼も来るらしい。22時少し前、四人はこっそりと学校の裏門から中へ忍び込んだ。
「マジで、こんな時間に学校来るとかバカだろ」と遼が言いながらも、笑っていた。懐中電灯の明かりが、旧校舎の廊下をぼんやり照らす。
旧校舎はすでに使用されておらず、窓ガラスはところどころ割れている。湿気とカビの混じったような臭いが鼻をついた。四人は三階にあるという問題の階段へと向かった。
「ここが、噂の階段ね」と美月が言った。
それは特に変わったところのない、コンクリートの階段だった。ただ、妙に空気が重い。誰も言葉にしなかったが、全員がそれを感じていた。
「じゃ、撮るよ」健太がスマホを構える。「じゃんけんで勝ったやつが、先に降りる」
負けたのは翔太だった。スマホを受け取り、動画撮影をオンにして階段の一段目に足をかけた。
ギシッ。
コンクリートのはずなのに、妙な軋み音がした。下を見ると、十数段下に続く暗闇。階段の下には小さな窓があり、街灯の光がわずかに差し込んでいたはずだが、それが妙に遠く感じた。
「いってきまーす」とふざけて声をかけながら、一段ずつ降りていく。
……五段目。
……十段目。
……十五段目。
なぜか、階段が終わらない。下に着いたと思っても、また階段が続いている。
「おい、翔太? まだ?」
上から健太の声が聞こえたが、遠い。妙に反響して、ぐにゃりと歪んでいる。
「おかしいって、これ……」翔太は立ち止まった。スマホのライトがチラつき、ついには消えた。
真っ暗闇。
視界が消えた瞬間、誰かの足音が、すぐ後ろで響いた。
――コッ、コッ、コッ。
振り返っても、何もいない。ただ、階段だけが、どこまでも続いていた。
「おい! 翔太! 戻ってこいよ!」
健太の声は、もうほとんど聞こえなかった。
そのとき、翔太のスマホがバイブ音とともに震えた。画面には、通知がひとつだけ。
『あなたはもう、上れません』
震える指で顔を上げると、真上に――逆さまの階段が、天井からぶら下がっていた。
翌朝、旧校舎の階段の前に、翔太のスマホだけが落ちていた。動画ファイルは破損して再生できなかったが、最後のフレームだけが静止画として残っていた。
そこには、階段を逆さに降りていく翔太の背中が写っていた。
しかし、壁も手すりもすべて、天地が逆になっていた。
まるで、あちらの世界に引き込まれていくように――。
誰も、それ以降旧校舎には近づこうとしなかった。
そして、七不思議の話は、またひとつ増えたのだった。