短編
夢うつつの子ども
夜な夜な現れる「知らない子ども」が、ある男の現実を侵食していく。
会社から帰宅した午後十一時過ぎ。
志村翔は、いつも通りコンビニ弁当を温め、テレビをつけた。ワンルームの狭い部屋。窓の外は静まり返っており、近くの小学校からも、子どもの声など聞こえるはずがない時間だ。
それなのに――
「……おじさん、あそぼ」
その声は、ふとテレビの音にまぎれて聞こえた。
翔は反射的に振り返ったが、当然部屋には誰もいない。空耳かと思い、ビールを開けて流し込む。やがて眠気が訪れ、ベッドに倒れ込んだ。
その夜、夢を見た。
古びた団地の一室。自分の部屋にどこか似ているが、壁紙が黄ばんでいたり、照明が暗かったり、細部が異なる。
そしてその部屋の中央に、ひとりの子どもが立っていた。
年の頃は五歳ほど、髪がボサボサで顔はよく見えない。ただ、じっと翔を見ていた。
「……だれ?」
翔が問いかけると、子どもは小さく首をかしげた。
「おじさんの、うちだよ」
そこで目が覚めた。
汗でシャツが張り付いていた。壁時計は午前四時を指していた。心臓が妙に早く脈打っている。
気のせい、だ。そう思おうとしたが、その日から奇妙な夢は毎晩続いた。
子どもは毎回部屋の中にいて、少しずつ翔に近づいてくる。そして、少しずつ言葉を覚えていくようだった。
「おじさん、ここにすんでるの?」
「おじさんのごはん、ちょうだい」
「おじさんの、ベッドでねてもいい?」
夢の中の団地は次第に現実の翔の部屋と似てきて、照明、棚、本の位置、冷蔵庫に入っている飲み物までもが一致していく。
やがて、翔は夢の中で言った。
「ここは、おれの部屋だ。お前は誰なんだよ」
すると、子どもは初めて、翔の方へと歩いてきて、小さな手で彼の頬に触れた。
「ぼくはね……もともと、ここにいたんだよ」
次の瞬間、翔はベッドから跳ね起きた。夜中の三時。
――コンコン。
現実の玄関から、ノック音がした。
一瞬、体が硬直する。誰かのイタズラか、気のせいだと自分に言い聞かせる。
だが、その夜から、現実にも奇妙な変化が起こり始めた。
買った覚えのない小さな靴が、玄関に並べられている。
冷蔵庫に、アンパンマンのジュースが一本だけ入っている。
そして、仕事から帰宅すると、テーブルの上に子どもの落書きが置かれていた。
「おじさんの おへや だいすき」
警察に相談しようとも考えたが、証拠が曖昧すぎた。防犯カメラにも不審者は映っていないという。
翔はしばらく実家に戻ることにした。母は気遣ってくれたが、翔はほとんど眠れなかった。
それでも一週間後、思い切って自宅に戻った。
部屋の中は変わりなく、気配もない。ただ、ふと視線を感じて、ベランダを見ると、小さな影が窓の外に立っていた。
飛び退いてカーテンを閉める。その夜も眠れなかった。
朝方、疲労困憊でうたた寝した翔は、再び夢を見た。
子どもはベッドの脇に立っていた。
「おじさん、もうすぐだね」
「な、なにが……?」
子どもはにこりと笑ってこう言った。
「いっしょになるの」
翔はそこで目覚めた。だが、身体が動かない。
金縛りだった。目だけが動く。
そして、視界の端――部屋の隅に、子どもが立っていた。
夢じゃ、ない。
翔は目を開けたまま、泣いた。
翌日、翔は会社に現れなかった。電話にも出ず、上司が心配して訪れたが、部屋には誰もいなかった。
ただ、布団の上に、一枚の絵が残されていた。
クレヨンで描かれた、子どもと大人が並んで笑っている絵。
その上には、こう書かれていた。
「いまは ふたりで すんでるよ」